「監視カメラが作動しない」と山端はひとりごちた。
「ならば、偵察ロボットを飛ばそう」
 彼は再びキーボードに向かった。
「何が起きたの?」と夕波が心配そうに尋ねた。
「よくわからないが、地震ではなさそうだ。もう少ししたら様子がわかると思う」
 新たな衝撃を警戒しつつ、彼らはしばらく様子を見ていた。そのうちにモニターの画面がパッと明るくなった。
「映った」とカワサキが小さく叫ぶ。
 モニターに映る映像は不安定に揺れている。まるで飛びながら撮っているみたいだ。本多がそのことを言うと、山端が答えた。
「昆虫の形をした偵察ロボットなのです。しかし、かなり破壊されましたね」
 山端の言葉に画面を見ると、山の斜面が大きくえぐれて、銀色に光るものが覗いていた。母船の外部やろと本多は思った。
「いったい誰が」と夕波が言った。
「見当もつかない」
 山端はいささか緊張した表情で答えた。
 そのとき偵察ロボットのカメラが飛来物を捉えた。小型ミサイルのようだった。
「来るぞ。頭を抱え込んで床に伏せるんだ」
 山端が叫ぶと同時に床が震えた。
「くそっ」と本多が歯ぎしりする。
 振動が収まると、山端は素速く立ち上がってコンソールのところに行き、キーボードを叩き始めた。
「撮影した映像を再生して弾道を割り出し、発射地点を特定してみます」
 山端は手早く作業を進めて、結果を出した。
「よし、わかったぞ」
 山端の声に、彼らはいっせいに顔を上げる。
「ドームハウス前の庭からだ」
「なんじゃと?」とカワサキが上擦った声で言った。
「わしらのバイクがある」
「そりゃ確かか?」
 本多も起き上がりながら訊く。
「間違いありません。今、偵察ロボットに確認させます」
 間もなくモニター画面に丸いドーム型の屋根が映った。二台のハーレーも視界に入ってきたが、驚いたことに黒い車がその横にとまっていた。
「あれは」
 本多とカワサキが同時に叫んだ。
「何か?」と山端がいぶかしむ。
「おそらく殺し屋の車やろ」
 本多が唸る。
「お知り合いですか?」
「知り合いちゅうか、なんちゅうか」
「なかなか根性ある奴じゃのぉ」とカワサキが言う。
「おい、感心しとる場合ちゃうで。すまんが車にズームインしてくれるか?」
 本多が山端に頼む。
「わかりました」
 山端がマウスを手にすると、モニターディスプレイに車がアップになり、同時に月光に照らされた人影が迫ってきた。黒っぽい服を着てサングラスをかけた男だった。戦闘用ヘルメットから長く伸ばした揉み上げが覗いており、手には細長い円筒形のものを抱えている。
「ひょっとすると」
 本多はカワサキを見た。
「うむ」
 カワサキがうなずく。
「すまんが、わしのハーレーのサイドバッグをアップにしてくれへんか? ハウス寄りにとまっとる方や」
 本多が頼むと、山端はすぐにそうしてくれた。オートバイの後部がぐぐっと近づいてくる。硬い牛革製バッグの蓋が開いているように見える。それで本多にはピンときた。
「カツラを取り返しに来おったんや」
 本多がそう言うと、カワサキが付け加えた。
「たぶんそうじゃ。それと仕事をやりとげるつもりじゃろう」
「融通のきかんやっちゃな」
「ねえ、何のこと?」と夕波が不審がる。
「ちょっと訳ありやねん。あとで詳しく話すけん」と本多は安心させるように気楽っぽく言った。
「じゃが、なんでここが、というかカツラの場所がわかったんじゃろうな」
 カワサキが首を傾げる。
「おそらくカツラに発信器か何かを仕込んどったんやろ。よっぽど大事にしてたんやな。きっと特注やで。そりゃそうと、さすがに何発も被弾したらまずいやろ?」と本多が山端に訊いた。
「そうですね。これまで程度の破壊力なら大丈夫ですが、相手はプロなんでしょ? 使う兵器がエスカレートしてくると危険ですね」
「エスカレート?」
「たとえば超小型核爆弾」
「ピカドンか?」とカワサキが顔色を変える。
「ええ。自爆テロ用に開発されたものが市場に出回っていましたよね。この人物が殺し屋なら、おそらく装備しているでしょう」
「自分も死んでしまうろうに」
「相打ちを選ぶ場合もあるかもしれへん」と本多が言った。
「あんたらを巻き込むわけにはいかへん。カワサキ、覚悟はええか?」
「おう」
「ちょ、ちょっと待って。いったいどういうことなの? 訳を聞かせて」
 夕波が慌てて言った。
「ええよ。その前に時間を稼がにゃならん。奴に呼び掛けたいんやけど、無線で何とかならんかね。PWAを装着しとるはずや」と本多が山端に言った。
「わかりました。やってみましょう」
 山端はコンソールにセットしてあるノート型コンピュータを開き、ほぼ瞬時に起動したディスプレイに右手の指でタッチして、左手でキーボードを操作した。マウスの代わりに直接指で操作する方式らしかった。
「全帯域チューニングモードでサーチしています。少し待ってください。しかし、あなた方もユニークな知り合いをお持ちですね」
 冗談とも皮肉とも取れる口調で山端は言った。
「まあな。そう長い付き合いやないが」と本多が返した。
 そのとき警告音が鳴って、ディスプレイの表示が変わった。
「チューニング完了です。このボタンを押して呼び掛けてみてください。画面上部に高感度マイクが付いていますから」
「わかった。おおきに」
 本多はコホンと咳払いをしたあと、マイクに向けて喋り始めた。
「えー、本日は晴天なり。ええ月夜や。んなことはどうでもええんやが、われ、ええ加減にせいよ。どういうつもりや。昼間にも言うたやないけ、契約はキャンセルするちゅうて。払ったカネは返さんでええ。返さんでええから、もう去んで寝えや。それに例のブツも、ちゃんと取り返したやんか。他言はせえへん。わしらは口が堅いんで有名なんや。心配いらへん。わかってくれたら、返事してくれ」
 数秒のちに偵察ロボットのカメラがミサイルを捉えた。
「くそっ」
 本多の罵り声と共に、一同は床に伏せた。すぐに振動と轟音が襲う。
「あかんわ」と本多が言った。
「聞く耳持ってへん」
「なあ、本多」
 カワサキが真剣な顔で言った。
「あいつはきっと狂ってるんじゃ。自分を殺人マシンと思い込んどる。一度引き受けた仕事は、それを果たすまで遂行するちゅうハラじゃろう。そやし、このままここにおっても、らちが明かんで」
 本多はしばらくカワサキの顔を見たあと、そやな、おまえの言うとおりやと言った。そして、再びマイクに向かって喋り始めた。
「あんたの返事、確かに受け取ったで。いま出てくさかいに、ミサイルぶっぱなすのはもう止めれ」
「出てくって」と夕波が言った。
「そんなことしたら、殺されてしまうわ」
「もともと、そのつもりだったんや。つまり、あいつを雇ったのは、わしらなんや」
「えっ?」
 夕波は大きく目を見開いた。
 本多はそれから手短に、夕波と山端に事の経緯を話して聞かせた。山端は黙って聞いていたが、夕波は悲しそうな顔になり、やがて涙を流した。
「お年寄りがそんな気持ちで生きていたなんて。安楽死のことは知っていたけど、一部の特殊な事情の人だけと思ってた」
「いや、たいていの老人は死にたがってるんや。生きててもしゃーないからな。体は弱るし、カネはない。まあ、それはいいんや。弱るのは自然の摂理やし、貧乏でも飢え死にするわけやない。そやけど我慢できんのは居場所がないちゅうことや。四半世紀前までは定年で職場を去っても、パートで働いたり、地域の行事に参加したり、孫の世話をしたり、なんやかやとすることがあったし、それなりに必要とされてたんやが、今はなんもない。仕事は若年と壮年でパイの奪い合いやし、地域の結束は都会も地方もゆるゆるで、孫を抱こうにも一緒に暮らすことはまれや。病院や福祉施設は満員で、自宅がある者も独居老人として一人寂しく死んでいくことが多い。わしらの周囲は、そんな話ばっかやで。これじゃあ、死んだ方がましってもんや」
 本多は話しながら、やりきれない思いになってきた。
「じゃけぇ」とカワサキが続ける。
「わしらも近い将来、そんなふうに生涯を終えるんじゃろうなと思っとったところへ、こいつが話を持ってきおった。さすがに一瞬びっくりしたが、竹馬の友と一緒に好きじゃった映画のように死ぬるんも悪くないと思うたんじゃ。いったんそう覚悟したら、なにやらワクワクしてきて、わしが欲しかったんはこれじゃと思い至ってのぉ。どんな境遇にあっても、そん時そん時に生きとるいう充実感がありゃあ人はやっていけると、改めて思うたんじゃ」
「なら、あたしの事故に遇ったことで、その計画はじゃまされたのね。あたしのせい。でも、よかったわ。結果的に死なずに済んだから」
 夕波はほっとしたあと、はっとした。
「だから今出てっちゃだめ。絶対にだめよ」
「気持ちは嬉しいが、このままじゃ全員やられちまう。せっかくの旅立ちがふいになるやん」
 本多は気分が高揚してきたのを感じながら言った。自分たちのヒロイックな行為に酔っているのかと思ったが、そうではなく、ただ夕波に生き残ってほしいという思いからだと解った。
「ねえ、ヒトちゃん、何かいい方法はないの?」
 それまで黙っていた山端が答える。
「あるよ。たった一つだけ」
「え? 本当?」
「ああ」
「どうするの?」
 夕波の顔がぱっと明るくなった。
「全員で飛び立つんだ」
 山端の言葉を聞いて他の三人は息を呑んだ。それは思いがけない提案だった。
「今、本多さんの言われたことには共感を覚えます。老人たちの実態はまさにそのとおりで、そういう状況から抜け出るには、善悪を超えた心の躍動しかないでしょう。あなた方が選んだ方法も一つの選択だと思います。ならば、一度死んだと思って新しい世界で生き直すのも一興ではありませんか?」
 本多の心は揺れていた。地球を去ることにすれば、とりあえずは全員が助かる。それに夕波としばらくは一緒にいれる。それはとても魅惑的な選択ではあった。一方で、永年過ごしてきた故郷を後にすることへの躊躇があった。それは彼の年齢からくるものでもあった。たぶんカワサキも同じような気持ちでいるやろなと本多は思った。
「もう時間がありません。これ以上待たせると逆上させる恐れがあります。あと三十秒で決断をお願いします。夕波も、お二人が決めたことには同意して差し上げなさい」
 夕波は、でもと言ってから思い直したように、わかったと言った。
 本多はカワサキに向き直って、じっと顔を見つめた。カワサキも見返す。幼稚園の頃から、一時期離れてはいたものの、ほとんどの人生を身近で過ごした竹馬の友の向こうに、自分の通ってきた日々の断片が物凄いスピードで立ち上がってきた。楽しいことも辛いことも、いいことも悪いことも、それらの思い出は自分が一生かけて創り上げた宝やと思った。そして生を終えるときに、その苦く甘味な宝を一瞬のうちに味わって去るんやろとも思った。しかし、それは生まれた場所、つまり地球にいるからこそ起きることであって、ここを離れたらそれはないような気がした。
 ここで死のうか? と本多はカワサキに目で問い掛けた。そうじゃな、ええよと彼は返してきた。
「出口を開けてくれはるか?」と本多は山端に言った。山端の目に微妙な光が宿り、夕波が息を呑んだ。
「わかりました」
 山端はそう言ってキーボードを叩いた。
 夕波は物言いたげな顔をして呆然と立っていた。本多は右手を差し出して握手を求めた。白く細い指がゴツゴツした本多の手に包まれた。手の平の感触と温もりが伝わってきて、本多の胸を切なくさせた。続いてカワサキも握手して別れを惜しんだ。
「用意ができました」と山端が告げた。
「おおきに。世話になったな。この子を幸せにしてやってくれ」
 本多は夕波をちらっと見ながら山端に言った。
「夕波さんをたのむけぇ」とカワサキも軽く頭を下げた。
「あなたたち、あたしの保護者みたい」
 夕波は泣き笑いの顔で言った。
「ほな」
 本多は片手を上げて挨拶すると、カワサキと共に部屋を出てホールを横切り、出口に向かった。最初に夕波とここに来たときと同じように壁が発光する通路を進んでいった。本多は一度も振り返らなかった。振り返ると、張りつめていた何か透明で硬質なものが崩れてしまう気がしたからだった。カワサキもまた前を向いて黙々と歩いていた。
 母船の外に出ると、月の光が降ってきた。周囲を見渡すとあちこちで山肌が削がれ、母船の表面が剥き出しになっていた。ミサイル着弾の跡だった。
「ずいぶん派手にやってくれたもんじゃ」とカワサキが言った。
「そやな。母船が露わになってしもうたな。爆発音の通報で警察が動くやろし、どのみちもうここにはおれん。山端にとっては潮時ちゃうかな」
 本多は夜目に浮かぶ銀色の機体を眺めつつ言った。
「いこか」とカワサキが言った。
 彼らは淡い木の影が映っている山道を下り始めた。この道を下りきるとドームハウスの前庭に至り、そこにはライフルを構えた殺し屋が待っているだろう。この月明かりに照らされた細い道が、死刑台へと続くグリーンマイルと言えなくもなかったが、死刑囚のような恐怖と絶望という感情よりも、むしろ穏やかで淡々とした心持ちだった。
「こんな明るく静かな月夜は初めてかもしれん」と本多が言った。
「わしの心が溶けて体の外に流れ出し、夜の中から宇宙に拡がってくような、そんなイメージがさっきから頭ん中に浮かんどるんや」
「たしか、今日は死ぬのにもってこいの日いう題名の本があったと思うたが、まさにそんな感じの一日じゃったな」とカワサキがしみじみ言った。
「そやな。イージーライダーみたいな散り方やのうなったんが、ちと残念やが」
「まあ、ええじゃろう。原作を超えた作品になるかもしれんけぇ」
「物は考えようか。それにわしらのは、とびきり美人のヒロインもいてるしな」
「そうじゃ。おまけに、けったいな宇宙人までおる」
 カワサキの言葉に本多は吹き出して笑い始めた。カワサキもそれに釣られる。二人はゲラゲラ笑いながら坂道を下っていった。
 道を下りきると、そこは庭の端で、右手にドームハウスがあった。そして予想どおり庭の反対側に黒い車がとまっていたが、殺し屋の姿はなかった。
「あいつはどこじゃ?」とカワサキが言った。
「どっかに隠れとるんやろ。なあ、カワサキ。どうせ散るならハーレーに跨ったまま逝きたいと思わへんか?」と本多が水を向けると、
「そりゃええな」とカワサキが答えた。
「よっしゃ。ほな」
 本多は両手の平で口の回りにメガホンを作ると、大声で言った。
「おい、殺し屋、よう聞いてんか。わしらは、もう撃たれる覚悟はできとる。そやし、一つだけ頼みたいことがあるねん。バイクに乗らしてほしいんや。それで逃げようなんて思うてへん。これは、ほんまや。約束する。バイクに乗ってこの庭をグルグル走るけん、好きなときに撃ったらええ」
 本多の呼び掛けに対し、殺し屋からは何の反応もなかったが、二人はかまわず歩き出した。いきなり弾が飛んでくる恐れは十分あったが、そん時はそん時やと本多は思っていた。
 無事にオートバイのところまで行き着くと、彼らは車体を撫でた。
「ずいぶん長いこと、こいつと離れとった気がするわ」と本多が言った。
「ほんとじゃ。まだ今日のうちなのに、そんな気がするのが不思議じゃのぉ」
 カワサキもガソリンタンクに触れながら言った。
 本多は、蓋が開いていたサドルバッグの中から皮手袋を取り出すと、きちんと蓋を閉めて、バックミラーに掛けてあったヘルメットを手にした。ヘルメットの表面は夜露で濡れていた。本多は、もう一度バッグを開けてタオルを取り、ヘルメットとシートを拭った。カワサキを見ると、彼も同様なことをしていた。
 二人は拭き終わるとヘルメットを装着して手袋を付けた。そして車体に跨ると、キーを回した。セルモーターが音を立て、すぐに1450㏄のエンジンが吠えた。さらにもう一台も。夜のしじまはオートバイの立てる爆音に取って代わられた。ヘッドライトの光線が辺りの木々を照らした。
 数分間アイドリングを続けたあと、彼らはゆっくりと発進して、庭の外周に沿って反時計回りに走り始めた。そう広い庭ではなく未舗装なので、スピードが出せるわけではなかったが、マシンを操る喜びは感じることができた。
 これで当初の計画通りオートバイの上で死ねると本多は思った。思いがけない展開が続いたが、まあ結果オーライやろ。真の目的であるワクワクどきどき生きて死ぬちゅうことは十分達成できたけんな。
 本多は夕波の顔を思い出した。そういやあ、もう飛び立ってもええ頃や。気配がなかったが、音ものう上昇したんやろか? 本多はPWAを起動すると、後ろを走るカワサキにスイッチを入れるよう手振りで伝えて話しかけた。
「あの二人、何しとるんやろ。まだ宇宙船が出てこんみたいやけど」
「夕波さんが地球との別れを惜しんどるんじゃろう」
「けど、もうじき日付が変わるけん、ぐずぐずしとったら間に合わんようになるで」
「そうじゃな」
 話しながら、本多の心には夕波の笑顔が満ちていた。その微笑みは、地球という美しい星の優しさを象徴しているように思えた。
 そのとき、本多の視界の端に黒い影が映った。そちらに顔を向けると、ドームハウスの脇に黒ずくめの男が立っていた。男はライフル銃を構えて、銃口をこちらに向けていた。
「カワサキ」と本多は鋭く言った。
「左手におる」
「奴か?」
「そや」
「いよいよか」とカワサキが声を絞り出した。
 本多は覚悟した。途端に風景がスローモーションに変わった。予想していたように、頭の中で、過ごして来た日々の回想が始まった。それは年代記のように過去から現在に向かう規則正しいものではなく、コップに注がれたサイダーの泡のように、様々な時代の出来事や味わった思いなどが次々と浮かび上がっては消えた。
 ふいに一つの小さな泡が出現した。コップの底から上昇を始めたその泡は、コップに射し込む陽光にキラキラと光っている。それは、この世の明るい面が投影されたもののように本多には思えた。泡はさらに上昇し、表面に至るとシュワっとはじけた。その泡は、かつて愛した女たちとの思い出であり、同時に人生の最後に現れた夕波という存在でもあった。
 本多の耳に夕波の声が蘇った。
「死なないで」
 幻聴やろか? と思いながら、声がしたような気がする右方向に顔を向け始めると、同時に顔の真横をヒュンという鋭い音が横切った。
 撃たれたと思った瞬間、右手の方で悲鳴が上がった。
 本多は自分の目が捉えた光景が信じられなかった。山道を下りきった辺りに、両手を胸に当てた夕波が立っていた。本多は急ブレーキをかけて停車し、目を凝らした。後ろでカワサキのバイクも急制動する。
 夕波、という声がしたかと思うと、今度は右方から左方へと青白く光る塊が一瞬の残像を残して飛んでいった。本多が声のした方を見ると、山端が両手をボールを抱えるような形にして体の前に突き出していた。そして、その手前で、夕波が地面に膝を突き、ゆっくりと前に倒れた。
「夕波」
 山端が叫び、夕波に駆け寄った。本多とカワサキも急いでサイドスタンドを出してバイクを止め、夕波の元へ走った。
 山端の腕に抱きかかえられた夕波は不思議に穏やかな顔をして事切れていた。残された三人の男たちは呆然として、声も出せなかった。
 しばらくして本多が雷に打たれたように体を震わせ、叫んだ。
「おんどれ、殺し屋の野郎」
 ハウスの方へ突進しかけた本多に山端が言った。
「行っても無駄だ。もうこの世にいない」
「どういうことや?」
「私が消した」
「もしや、さっきの光が」
「そうだ。精神エネルギーを撃った」
「なんで、もっと早よう」
 本多はそのあとが言えず、涙ぐんだ。
「私が離陸の用意をしている隙に、夕波は出ていった。あなた方をむざむざ死なせたくなかったのだろう。夕波はそんな女だった。もう少し早く気づけばよかった」
「わしらに出くわしたばっかりに、こんなことになってしもうて」とカワサキが啜り上げながら言った。
「あなた方のせいではない。こういう運命だったのだ」
 山端は夕波を両腕に抱いたまま、地面に片膝をついていた。
「私は夕波をここに残して一人で旅立とうとした。だが、その直前に倒れて自分の本当の気持ちを知った。出会うべくして出会ったのなら、もう二度と離れるべきではないと思った。夕波はオートバイで駆けつけようとしてくれた。私と一緒に行くと言ってくれた。しかし、私は私で、夕波とこの星に残ってもよいと思い始めていた。今回、旅立とうとしたのは、故郷の星へ向けてではなかった。今の危機的な状況を回避するためだった。殺し屋があなた方を葬ったあと、そのまま立ち去るとは限らないと思った。それに、私の存在が世間に知れてしまうと、夕波の身にも危険が及んだろう。私は夕波と共に地球の他の場所で暮らし、折りをみてまたこの場所に戻ってこようと思った。そのことをあなた方にも話し、一緒に飛び立つべきだった。そのことは後悔してもし切れるものではないが」
 山端はそこまで話すと、涙を流した。月の光を照り返すその滴を見て本多は、山端が生まれて初めて流す涙やないやろかと思った。
「新しい日になったようだ」
 空を見上げて山端が言った。本多とカワサキが釣られて仰ぐと、星も見えないほど明るく輝く満月が大空に浮かんでいた。
「これからどうするんや」と本多が山端に訊いた。
「私は行く。夕波と共に」
「行くって、どこに」
「夕波が生まれた場所に」
「自宅にか?」とカワサキも尋ねる。
「そうではない。海に還るのだ。夕波という名にふさわしかろう。私にとっても、柿本人麻呂として一度死にかけた懐かしい場所だ」
 山端は言い終えると、夕波を横抱きにして立ち上がった。
「あんたまで還るんか? 夕波の分まで生きてやれ」と本多が言った。
「いや、私はもう永いこと生きた。夕波と共に眠ることにする」
「そうか」
「あなた方に出会えてよかった。早々にここを立ち去る方がよい。私はこれから母船に引き返して自爆のセットをしたのちに、小型船で飛び立って海に入る。爆発といっても、物体を原子に解体するのだから、環境に実害はない。ところで、お二人に一つ頼みがあるのです」
「なんじゃ?」とカワサキが言った。
「夕波のことを忘れないでやってほしい。私は夕波の肉親や友人知人など、夕波のことを知っている全ての者の記憶を消すつもりだ。特に両親の悲しみは、夕波が一番望まないものだろう。だから、今後知っているのは、あなた方二人のみになる。夕波の分まで精一杯生きてほしいのです」
 山端は本多とカワサキを見つめながら切々と言った。
「わかった。そうしよう」と本多が答えた。
「忘れるわけない」
 カワサキも震える声で言った。
「ありがとう」
 山端はにっこりと笑うと、そのまま歩き去った。
 本多とカワサキは、山端と夕波の姿が山道に消えるのを見ていた。胸の内には悲しみと寂しさがあった。山端は運命と言うたが、運命とはこんなにも人の心を翻弄するものなんかと本多は今さらのように思った。
「バイクに戻ろう」
 カワサキが本多の肩をポンポンと叩いて言った。
「あの二人の旅立ちに合わせて、わしらも旅立つんじゃ」
「おう」と本多が応えた。
 彼らは再びバイクに跨り、エンジンに火を入れた。ドッドッドという力強い排気音が夜にこだまする。アイドリングしたあと、本多はギアを入れてバイクを発進させた。カワサキも後に続く。二人は昨日の昼間に通った海沿いの国道に至る道を下っていった。そして国道に突き当たると左折して少しの間走り、ちょっとしたパーキングエリアに停車した。
 彼らが左手を仰ぎ見ると打歌山が望め、山の上空には煌々と照る大きな月があった。しばらく月と山を見ていると、鈍く光る小さな物体が山の中腹から上昇して彼らの頭上を通り過ぎ、海の方に降下したのち、月光を映す波間に消えていった。
 本多とカワサキは煌めく海をしばらく眺めていた。やがて、本多が言った。
「行こうか」
「そうじゃな」とカワサキが返し、
「どこに行こう」と続けた。
「どこにって、決まっとるがな。どこでもない場所、つまり、あらゆる場所に」
 そう言って本多はカワサキに目で出発を促した。彼らはギアを入れ、バイクを出した。二台のハーレーは爆音を後に残しながら、夜明けへと向かう海岸道路を走り始めた。