玄関の前まで行くと、男はマントの下から腕を出した。手には何かが握られており、本多は一瞬それが拳銃に見えて、手にした鎌を胸の前で構えた。しかし男が持っていたのは、夕波が使ったのと同じようなリモコンだった。男がリモコンを操作すると、ロックが解除された。夕波はドアの横にある小さなパネルに指を押し当てて開けたから、複数の開け方があるのだろう。男はドアを開けて振り返り、本多とカワサキに言った。
「どうぞ、お入りください。ただし、その物騒なものは」
 男は二人が持つ鎌とスコップに目をやりながら言った。彼らが躊躇していると、男はさらに続けた。
「どうしたのです。恐いのですか?」
 本多が見ると、男は顔に薄笑いを浮かべていた。本多の負けじ魂がムクムクと湧き起こった。
「あほ言え、恐いわけあらへん。地獄へでもどこへでも行ってやらあ」
 本多は持っていた鎌を地面に放り出した。
「あなたは?」と男がカワサキを見て言った。
「訊くまでもないわぁや」
 カワサキもスコップを投げ出した。
「では、どうぞ」
 男はドアを開けっぱなしにして、先に入っていった。本多とカワサキも彼に続く。
 室内は昼間と何も変わりはなかった。男はキッチンらしき場所まで行き、湯沸かしポットに蛇口から水を入れてガスコンロにかけた。どうやらここには宇宙船内にあったような利器はなさそうだった。おそらく正体がばれるのを警戒してのことだろうと本多は思った。
「熱いお茶を淹れましょう。できるまで掛けてお待ちください」
 男は壁際にあるソファを示しながら言った。ソファのそばにはギターとアンプがあった。腰を下ろしたあと、本多がギターを指差して訊いた。
「あんたのかね?」
 男はキッチンの脇にある椅子に座ったまま答えた。
「そうです」
「バンドやってはんの?」
「いえ、一人で弾いて楽しむだけです。ときたま夕波が一緒に歌いますが」
 いきなり男の口から出た夕波という名に、本多とカワサキは強く反応した。
「あの子は、どこにいるんや?」
 本多は詰問とも取れる口調で言った。
「あんたを見守ってたはずじゃが」
 カワサキも身を乗り出す。
「あなた方のことは存じ上げていました」
 男は素っ気無く答えた。
「あの子から聞いたんやろ?」と本多が言った。
「わたしが目覚めると、夕波はソファで寝入っていました。きっと疲れ果てたのでしょう。監視モニターをチェックすると、あなた方が映っていました。わたしは夕波の記憶にアクセスし、事故のことや、それ以後のことを知りました」
「記憶にアクセス? いくら親しい仲でも、そんなこと許されんじゃろう」とカワサキが抗議する。
「非常事態ですから。普段そんなことはしません。さて、お湯が沸いたようです。わたしが育てたお茶の木から摘んだ葉です。香り高くておいしいですよ」
 男は戸棚から円筒形の缶を出して、中身を急須に入れた。そして少し冷ました湯を急須に注いだ。
「なら、あの子は宇宙船の中にいるんやな?」と本多が訊いた。
「蘇生カプセルの中で眠っています。ご心配には及びません」
「そうか」
 本多はほっとした表情になった。
「さあ、できました」
 男は急須から湯呑みに茶を移したあと、盆に乗せて二人に差し出した。
「どうぞ。言うまでもなく、悪いものは入っておりません」
 気持ちを見透かされた彼らは、少し動揺しながら湯呑みを受け取った。
「ほいじゃあ、ごちそうになるわ」
 カワサキは鼻先で湯気を割って、熱い茶をすすった。
「旨い。こりゃ旨いで」
「そうですか。それはよかったです」
 男はキッチンに引き返し、今まで座っていた椅子をソファの近くに運んで腰を下ろした。そして湯呑みに口をつけた本多に尋ねた。
「いかがですか?」
「なかなかのもんや。あんた、外の菜園といい、園芸に長けてはるんやな」
「こんなところに長年暮らしていると、他に楽しみもありませんから」
「どのくらい、ここにいるんや?」
「千三百年ほどになります」
 男は、さらりと言った。
「信じ難いことやが、なんとなく納得してしまうのは、なんでやろ。あの子からも聞いていたからやろか」
 本多はそう言って茶をすすり、さらに続けた。
「そやけど、なんでこんな秘密をわしらに話すんかわからへん。まさか、あとで口封じする気やないやろな」
「ご心配なく。夕波が信頼した相手だからというのが、その理由です」
「それを聞くと」とカワサキが言った。
「あんたのことも信頼せにゃならんいうことになるのぉ。理由はおんなじじゃ」
「そうしてください」
 男はかすかに笑った。
「ついでに訊くんやけど」と本多が言った。
「あんたのギター、年代物みたいやけど」
「1957年製レスポールカスタムの2ピックアップモデルです。ブラック・ビューティーの愛称で呼ばれていたものです」
「ああ知っとるよ。しかし、えらい古いもん手に入れたもんやな」
「インターネットでオークションが流行った時代に買いました。アンプも同様です」
「なんでまたレスポールを」
「形というか、たたずまいが好みだったのです。自分で弾いてみたいと思いました。わたしの生まれた星には、音楽というものがありませんでした。だから当然、楽器もありません」
「音楽がないなんて信じられへんな」
「宇宙は広大無辺で、在り方も多様です」
「そんなもんかいな。ところで、ギターの前には何か楽器弾かんかったんか?」
「この星に来て以来、楽器はギターが初めてです。色々なもので気を紛らせてきましたから」
「気を紛らすって、あんた、音楽は暇つぶしかい」
「そうです。長年生きていると、同じものでは飽きてしまいますから。ここに着いてから最初に始めたことは、和歌を詠むことでした」
「和歌?」
「地球に不時着してまず最初に行ったのは、姿形をできるだけ人間に似せること、そして言葉を習得することでした。体の器官を使って音声を発し、それに意味づけして意志を伝達する方法や、文字というツールを使って意味を記録するやり方は、とても興味深いものでした。当時の日本語を身につける過程で和歌に出会い、わたしも詠んでみることにしました。ある程度のものが作れるようになったとき、わたしはペンネームを考えてデビューしました」
「ペンネーム? なんちゅう名や?」と本多が訊いた。
「柿本人麻呂です」
「まさか」
「本人が言うのですから、間違いありません」
「本人て」とカワサキが苦笑する。
「人麻呂の正体は、はっきりしてへん。これまで伝説上の人物扱いやったが、やはり実在したんやな」と本多が感慨深げに言った。
「まてよ。ちゅうことは、あんたは人麻呂以降の歴史の生き証人やないか」
「そうとも言えますね」
「歴史の真実を知っとりんさるんじゃな」とカワサキが言う。
「歴史の真実というよりも、人間の本質ですね。千三百年も見続けてくると、骨身にしみてわかることがあります」
「どんなことかね?」
「人間と我々とは生きるために使う燃料が違うということです。我々のは慈しみで、人間のは憎しみです。地球上から諍いや殺し合いが無くなった日は一日もなく、今後もないでしょう。こんな野蛮で危険な星に愛する者を残していくわけにはいきません」
「夕波さんのことか?」
「そうです」
「じゃけど、夕波さんは迷っとったで」
「当然です。生まれ故郷を離れるということは簡単ではありません。しかも、もう二度と帰れないとなるとなおさらです」
「どゆことや?」
「夕波と、というより人間とわたしとは体を構成するものが異なっています。だから、わたしのように長期間に渡って肉体を維持することは困難です。いったん旅立ってしまうと、夕波の生きているうちに再びこの星に帰還するのはまず不可能でしょう。もっと言うと、わたしの星に戻る途中に生を終えることも考えられます」
「そやったら、連れてくの止めとけや」と本多が語気を強めて言った。
「人間はな、生まれたとこで死ぬのが一番幸せなんや。そんな暗く冷たい宇宙空間や最果ての星で一生を終えるのは、あまりにかわいそうやないか」
「おっしゃるとおりです。しかし、どこで死ぬかということも重要な問題でしょうが、どう生きるかということはもっと大切なことではないでしょうか。やっと出会えた愛する存在と命ある限り一緒にいたいと願うのは、人間も我々も変わりはありません。わたしと夕波とは、そんな離れがたい間柄なのです」
 男の顔に、切なさと呼べるような表情が浮かんで消えた。
「矛盾しとる」
 本多が鋭く言った。
「あんたはエゴイストや。言うとることがムチャクチャやないか。どう生きるかが大切やて? そうや、そのとおりや。やっと会えた相手と離れるべきやない? そうや、そのとおりや。なら、あんたがここに残るべきちゃうか? かけがえのない相手に悲しい思いをさせて、何が愛するや。それに、あんたの方が長生きするんやから、せめてあの子が生を全うするまで、この星にいたらどうや?」
 本多の激しい言葉に動揺したのか、男はしばらく無言でいた。
「おまえの言うとおりじゃ」
 カワサキは本多を見て言った。
「おっしゃるとおりです」と男が口を開いた。
「わたしがここに残るべきでしょう。それは、よくわかっています。ただ、わたしにとって、これが最後のチャンスなのです」
 本多とカワサキは男の言葉に注目する。
「わたしはこの星に不時着して以来、何とかして故郷に還りたいと思い続けてきました。その思いが失せた日は一日とてありません。帰郷するためには宇宙船を修理せねばならず、しかし修理のための部品が足らず、この星の科学技術のインフラが整うのを待つ必要がありました。わたしからも持っている技術を、それとわからない方法で提供し、同時に資金も確保しました。現在この星にある重要な科学技術の多くは、わたしが提供したものです。そして二十一世紀に入って、ようやく修理のめどが付き、これでやっと帰途につけると喜んだのも束の間、母船を修理するのは無理なことがわかったのです。それで対象を非常脱出用の小型スペースシップに変更し、なんとか実用可能なところまで漕ぎ付きました。ただ、この船では地球引力からの脱出はできるものの、故郷の星まで辿り着くには力不足なのです。わたしは何とかしようと必死で考え、唯一無二の方法を見つけました。それは時空の裂け目を利用して故郷の星の近くまでワープすることでした。わたしはそれから観測を続け、時空の裂け目が地球に接近する時期を割り出しました」
「それが今日というわけやな」と本多が口をはさんだ。
「おっしゃるとおりです。奇跡的に遭遇したこの機会を逃すと、もう二度とワープすることはできないでしょう。先程あなたが言われたように、確かにわたしがこの星に留まるべきだと思います。しかし望郷の思いも、気も狂わんばかりに強いのです。想像してみてください。千三百年もの長きに渡って、同族や故郷から遠く離れて、たった一人で生きるということを。そして、このわたしの思いを唯一人解ってくれたのが夕波だったのです。だからこそ、わたしと一緒にこの星を離れてもよいと半ば思ってくれたのです」
「半ばかね」
 カワサキが、ほっとしたような、反面心配でもあるような顔で言った。
「そうです。半ばです」
 男も、喜びと哀しみが溶け合わさったような表情になった。
「初対面のあなた方に語ってしまいました。聞いていただいて感謝します」
 ここまで話して、男は初めて自分の湯呑みから茶を飲んだ。部屋に入ってもマントは身に着けたままだ。限りなく黒に近いダークグレイのマントの上に、色白の顔と銀色の髪があった。改めて見ると、男は知的で品のある顔をしていた。
「是非はともかく、あんたの気持ちはようわかった。そらそうと、名前はどういうんや?」と本多が訊いた。
「山端と申します。枕草子から引用しました。秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり」
 男は一節を諳んじてみせた。
「ふうん、変わった名やな。あんたが人麻呂やったんなら、なんで柿本の姓を使わへんのや?」
「人麻呂は罪に問われて刑死したことになっていますから、その名を冠するのは避けた方が無難だったのです」
「なんで罪に問われんさったんかね」とカワサキが興味津々で訊いた。
「当時の考え方のレベルから突出してしまったのです。気をつけてはいたのですが、いつのまにか危険人物としてマークされ、ついには処刑されることになりました」
「処刑て、どがぁな?」
「水刑です。船に乗せられて沖に連れていかれ、大きな石を抱きかかえた格好で縛られて、海中に投げ込まれました。わたしはこのことを予想していましたので、予めえら呼吸のできる装置を喉の奥にセットしておきました。そして水中で体を軟体化させて縄を抜け、少し離れた海岸に泳ぎ着いたのです。そのあと密かに母船に戻って、ほとぼりが冷めるまで姿を隠していました。以後は、各時代に合わせて様々な人物に成り済まし、今に至ったというわけです」
「うーん、にわかには信じ難い話やなあ」と本多が唸る。
「本人が言うのですから、間違いありません」
「また、それかね」とカワサキが笑い声を上げた。
「たしか若い妻がいたはずやが」
 本多は、ふと思い出して言った。
「ええ、依羅娘子という名でした。心根の優しい人でした。わたしが刑死したあと、再婚したと聞きました」
「その人の前にはもう姿を現さんかったんやな」
「はい。わたしが現れたら、妻に危害が及ぶからでした。それから千年以上に渡って何人もの妻をめとり、最期を看取ってきました。彼女たちの老化に合わせて、わたしも老けていかねばなりませんでした。つまり、メーキャップで対応したのです」
「ほう」
 本多は山端の顔をしげしげと見た。夫はいつまでも若さを保ち、妻のみが老いていく。よくよく考えてみると、これはかなり奇っ怪なことだった。考えようによっては、なんという孤独なことだろう。
「子供はできんかったんかね?」とカワサキが尋ねた。
「人間とは染色体の種類が異なっているという理由で、性行為はできても生殖は不可能なのです」
「そうじゃったか」
 カワサキは溜息をついた。
「あんたは、ほんまにずっと独りで生きてきたんやな」と本多が言った。
「そうですね」
「そしてあの子に出会った」
「はい」
 本多が何気なく見上げると、天窓の彼方に丸い月が見えた。この山端と名乗る宇宙人が地球に落ちてきた当時も、今夜と同じく澄んだ夜空に月が輝いていたやろかと本多は思った。
「山端さん、最後に一つ訊いてええかね?」とカワサキが言った。
「はい」
「結局、あんたは旅立つんか? それとも」
 山端は、しばらく黙って考えていた。
「今朝、わたしは出発するつもりでいました。けれど、夕波に別れの電話をして船内に入ろうとした矢先に、いつもの発作が起きてしまいました。わたしの心の底に迷いがあったからなのか、夕波の思いがそうさせたのか、いずれにせよ出鼻を挫かれてしまいました。このことが何を意味するのかわかりませんが、今は夕波の判断にゆだねる気になっています」
「てことは、夕波さんが望めば、ここに留まることもあるってことじゃな?」
「そういうことです」
「あるいは、共に旅立つか」
「あるいは」と本多が加わる。
「あんたが去って、あの子が残るか」
「そうじゃな、三通りの道があるってことになるか」
 カワサキも本多も山端の顔を見つめた。山端も視線を返す。彼らはそれから、しばし無言でいた。
 やがて山端が言った。
「そろそろ夕波を起こさねばなりません。人間があまり長く蘇生カプセルに入っていると、細胞が活性化しすぎて危険なのです」
「そりゃいけん。はよう起こしてやりんさい」とカワサキが驚いて言った。
「あなた方はどうされますか? 今夜はここに泊まってもらってもかまいませんが」
「あの子に会わせてもらえんかね」と本多が山端の目を見て言った。
「夕波にですか?」
「そや」
 山端は、まるで本多の心の中を探るようにじっと見つめてきた。本多はその視線にいささか狼狽えつつも、山端の瞳の向こうに夕波の笑顔を見ていた。
「わかりました。わたしと一緒に来てください。もうすでにお越しいただいてるわけですし」
 そう言うと、山端は立ち上がった。
 ドームハウスの外に出ると、辺りは明るかった。雲一つない天空には月の光が隅々まで届いており、地上にも無数の光の矢が降り注いで、オートバイの影がくっきりと地面に落ちていた。
 彼らは山端を先頭に山道を登り始め、やがて母船への入口になっている岩のところに着いた。山端はリモコンで扉を開き、本多とカワサキを内部に導いた。壁自身が発光する廊下を行くと、小型宇宙船があるホールがあった。宇宙船は昼間見たときと違って、何か力のようなものが感じられた。もしかすると離陸準備が整った状態なんかもしれへんと本多は思った。彼らはホールを横切って、向かいにある小部屋に入っていった。
 部屋の中には蘇生カプセルがあり、透明なカバーの内部に夕波の体が見えた。顔は器具で覆われていたが、体にぴったりした服をまとった胸のふくらみが小さく上下していた。山端がカプセルに付いているボタンを押すと、カプセルの内部が白っぽい光に包まれた。そしてしばらくすると、カプセルのカバーと顔面を覆っていた器具が左右に割れて、台の内部に収納された。
 三人が見守る中を、夕波がゆっくりと目を開いた。その目覚めは、永い漆黒の夜にようやく現れた日の出の予感のようだった。最初は目の焦点が合わないのか心許ない表情だったが、しだいに瞳が輝きを帯びてきた。そして、はっと息を呑む音と共に上半身を起こそうとした。しかしまだ筋肉に力が入らない様子で、背中をわずかに浮かせたに留まった。
「あたし」と夕波が声を上げた。
「いきなり喋らない方がいい」
 山端は優しく言って、夕波の手を握った。
「ヒトちゃん」
「ああ」
「きっと間に合うと思ってたわ」
 山端は無言でうなずいた。
「よかった」
 夕波は安堵したのか、いったん目を閉じた。間もなく閉じた瞼から涙が溢れてきた。
「よかったなあ、夕波さん」とカワサキが言った。
「え?」と夕波が目を開けて辺りを見回した。
「カワサキさん? なぜここに?」
「本多もおるで」
「よー」
「本多さん。いったいどうなっているの?」
 夕波は驚きながらも嬉しそうだった。
「GGライダーが再び参上つかまつった」と本多が戯けて言った。
「ここから出たいわ。ヒトちゃん、起こしてくれる?」
 夕波は甘えた声を出した。
「わかった」
 山端は夕波を横抱きにしてカプセルから出すと、ソファまで運んで座らせ、自分も隣に腰を下ろした。夕波は山端に上体を預ける。
 本多とカワサキは壁際の床に座って、壁に背中をもたせかけた。
「なんだか不思議な感じ」と夕波が言った。
「まるでファミリーみたいに心地いいわ」
「てことは、夕波さんが孫で、わしらが祖父じゃな」
 カワサキはそう言って、まてよ、と付け加えた。
「一番年上は山端さんじゃ。なんせ千三百歳以上じゃけぇ。いや、見掛けは全然若いけどな」
 カワサキの言葉に、みんな一斉に吹き出した。
 本多は山端の笑う顔を見ながら、奴はいつ頃から笑うことを覚えたんやろと考えていた。もしかすると奴らには笑うちゅう概念がなかったんやなかろうか。それが長い年月の間に、しだいに身に付いていったんか。それとも夕波に出会って初めて微笑むことができたんか。
「どうして、またここに?」と夕波が二人に訊く。
「あんたに、もいちど会いたかったんや。それに」
 本多は言いよどんだ。
「それに何なの?」
 ちらっと山端の方を見てから、本多は言った。
「あんたを遠くに行かしとうなかった。わしの価値観からすると、あんたはきっと寂しい思いをするに違いないからな」
 本多の言葉は夕波を動揺させたようだった。重くなった場の空気を察してカワサキが言った。
「なあ、夕波さん。あんた、山端さんのことをヒトちゃんと呼んどったが、名前がヒトシとか何とかなんか?」
「違いますよ。かつて柿本人麻呂だったことがあるから、ヒトちゃん。シンプルでしょ?」
「そうなんか。で、今の名は?」とカワサキが山端に訊く。
「特に名乗っていないのです。苗字が名を兼ねています」
「だから、あたしが勝手に付けたの」
「そうじゃったか」
「どうぞ椅子に座ってください」
 山端が立ち上がって壁のスイッチを押すと、壁面の一部から長方形の板がするすると迫り出してきた。続いてテーブルに対する椅子の位置にベンチが出てきて、あっという間にゆったりとした四人がけのテーブルが出来上がった。
 本多が驚いて見ていると、山端は戸棚からランチョマットを出してテーブルに置き、続いて人数分のグラスをマットの上に乗せたあと、戸棚から取り出した瓶に入った赤い液体を注いだ。
「きれいな赤じゃけど、何かね?」とカワサキが訊いた。
「山桃酒です。体が温まりますよ」
「へえ、あんたが作ったんか?」
 本多が興味深そうにグラスを見つめる。
「そうです。近くに木があるものですから。さあどうぞ召し上がってください。夕波も少し飲むといい」
 山端の言葉に、三人はそれぞれの場所からテーブルに移動して、グラスに口をつけた。
「こりゃ旨い」とカワサキが言った。
「ほどほどにしとかんとな」
 本多は自分に言い聞かすようにつぶやいた。
 四人は山桃酒を味わいながら、しばらくの間無言でいた。
 本多は遙か頭上に月を感じていた。夜が更けるにつれて冴え渡る光が、その大きさを増して夜空いっぱいに広がっていく様をイメージした。そして、今日はこれまでの人生で最高の日になったと思った。
「なあ、わしらお邪魔やったんちゃうかな」
 ふいに本多が口を開いた。
「え? どうして?」と夕波が目をみはる。
「あんたら同士、いろいろと話しもあるんちゃうか思うてな。わしらがおるけん何かと話しずらいかもしれへんし、これいただいたあとすぐに退散するけん」
「じゃまだなんて」という夕波の声に被さるように山端が言った。
「わたしは先程からずっと思い出していたのです。わたしがこの場所に不時着してからのことや、それ以前に故郷の星で暮らしたことなどを。わたしは夕波をここに残して故郷に向かおうとしました。なぜなら本多さんに指摘されたように、夕波をわたしの母星に連れて帰れたとしても、夕波が望郷の思いに苦しむことになるとわかっていたからです。わたしは夕波と離れたくないという気持ちと、愛する人に辛い思いはさせたくないという気持ちの板挟みで、ずっと思い悩んできました」
「あたしは、あたしで」と夕波が言った。
「ずっと一緒にいたいという思いと、この星を離れたくないという思いに引き裂かれていたわ。でも、さっき目覚めて思い知ったの。ヒトちゃんのいない風景は色あせて見えるって」
「なんかジンとくること言いんさるなあ」
 カワサキは目頭を押さえた。
「そうして」と山端が続ける。
「いざ機内に乗り込もうと思った矢先に、わたしは体に変調を来して倒れてしまいました。ときたま起きる発作かと思いましたが、どうもそれだけではないようでした。わたしは気が遠くなりながらも、何とか蘇生カプセルに入ることができました。そして今、わたしはそうなった理由に気づいています。それは」
「さてっと」
 突然、夕波が言った。
「そろそろ出かけようか、ヒトちゃん」
 山端が驚いた顔になる。
「午前零時を回ると、タイミングがずれるんでしょ?」
「まさか」
「うん」と夕波がうなずく。
「あたしも行くよ」
「夕波さん、あんた」
 カワサキが低く唸った。
「たまには、ふるさとに帰らなきゃね。もう永いことご無沙汰だもんね、ヒトちゃん」
 夕波はそう言って山端を見つめた。
「おれは」と山端が夕波に言った。
「やっと気づいたんだよ。故郷は、おれの心の中にあると。どこにいても、どこで生きても。だから」
 山端の声をマスキングするかのようにドーンと地響きがして、同時に部屋が揺れた。悲鳴を上げて夕波が山端にしがみつく。
「地震か」と本多が叫んだ。
 途端に再度の轟音と揺れが襲った。
「テーブルの下に入るんじゃ」
 カワサキが慌てて言った。
「みんな、床に伏せててくれ」
 山端は夕波を床に座らせると、壁際に寄ってボタンを押した。すると壁面が開いて大きなモニターが現れ、コンソールがせり出してきた。彼はキーボードを操作して、モニターをアクティブにした。すぐに画面が現れるかと思ったが、変わらず暗いままだった。

GGライダー Part.5