ハウス前の広場でUターンし、元来た道を下っていく本多のハーレーのバックミラーに、両腕を垂らしたままこちらを見ている夕波が映り、間もなくその姿は視界から消えた。
「そいでも、なんやら寂しいんじゃ」というカワサキの声で我に返った本多は、夕波の面影を払うように頭を左右に振った。
「縁がありゃ、来世ででもまた会えるやろ。さあ、少し飛ばすか。まだまだ先は長いで」
 本多はスロットルを手前に捻ってアクセルを開けた。
 下半身から上半身にかけて心地よい振動を感じながら、彼らは海岸に沿い西に向かって走った。海へと傾きつつある太陽は周りの雲を金色に染めながら、徐々に赤みを増していた。秋晴れの透明な大気が、しだいに夜の予感を漂わせ始めた。海岸道路は、渚から遠ざかったり近づいたり、高度を上げたり下げたりしながら、ツーリングに快適なカーブを描いている。車体を傾けながらコーナーを抜けていくと、風に乗って風景が後方へと飛び去っていく。
「こうして走っとると、さっきまでのことが夢のようじゃのぉ」
 ヘルメット内に入ってくる爆音と風の音に混じってカワサキの声がする。
「そやな」
 そう答えたものの、夢にしては生々し過ぎるやないかと本多は思った。こんな気持ちを抱えたままこの世の外に出ていく気がせえへん。自分の中の何かが変わり始めていることに本多は気付いていた。
 しばらく海岸から離れていた道路は再び近づき、右手に海を望む長い直線になった。こんな真っ直ぐい道こそがハーレーにふさわしいと思いながら、本多はアクセルを回してスピードを上げた。カワサキもそれに続く。
 そのとき、直線の向こうの端にあるトンネルから一台の黒い車が飛び出してきた。近づいてくるにつれて、それは電気自動車でオープンのスポーツカーだとわかった。先頭を走る本多の目に、運転席の人影が立ち上がるのが見えた。
「おい」とカワサキに呼び掛ける。
「どした」
「殺し屋のご登場や」
「ほんとか」
 カワサキの声に緊張が走る。
「あと数分足らずのうちに片が付くやろ。おまえ、覚悟はできとるか?」
「覚悟はできとるが、なんやらすっきりせん気分じゃな」
 カワサキの率直な言葉を聞いて、おまえも覚悟はできとるんかと本多は自分の心に問い掛けた。覚悟はできとる。けど、もやもやしとる。なんや、カワサキと同じやないか。奴がすっきりせえへんのは、夕波のことが気になるからやろ。それは、わしとておんなじや。
「カワサキ」と本多が言った。
「おう」
「あの世に行くんを、ちょい延期せえへんか?」
「ええよ」
 カワサキの声に安堵感と未来への希望の芽を感じて、本多はニヤリとした。
「ほな、行動開始や」
 本多は皮ジャンのポケットから取り出したPWA用の超小型コンピュータを操作して、通話の自動チューニングモードにした。前方から接近している車もしくは人間に受信環境があれば、通話のチャンネルが開通するはずだった。しかし受信環境がないのか、あっても切られているのか、何の反応もなかった。チッと舌打ちした本多は急いでカワサキに言った。
「前方の車はおそらく自動操縦モードになっとって、運転席に立っとる奴はスコープ付きライフルを構えとるやろ。対向車線に入って超蛇行運転するんや。でもって、正面衝突寸前に右にかわす。自動操縦やし、衝突は避けようとするはずや。車から見て対向車線が空いとれば、そっちに向かうやろ。奴がゴルゴ13並みの腕前でないことを祈るわ」
「一か八かじゃな」とカワサキがテンションを高めながら言う。
「ほな、いくで」
 本多は左の拳をかざした。
「おう」
 カワサキも左手を差し上げる。
 彼らはアクセルを手前に回して猛然とダッシュした。他の通行車両はなく、二台のオートバイと一台の車は急速に接近した。先頭を走る本多はハンドルを左右に切って車体をバンクさせ、狙撃の照準を合わせにくくした。カワサキも同様な動きをして本多の後に続いた。
 迫る黒い車の運転席に、ライフルを構えた黒ずくめの男が立っているのが見えた。サングラスをかけている。標的の前に姿を現すなんて大した殺し屋じゃないやんと本多は思った。ナルシスティックな小心者かもしれへん。そんならそれで、やりようもあるというもんや。
「おい、カワサキ、ウイリーするんや。殺し屋びびらしたろ」
 言うが早いか、本多はアクセルをふかしながらハンドルを持ち上げ、後ろに体重を移動した。本多の後方でも、エンジンの咆哮が辺りの空気を揺るがした。二台のハーレーは大地を這う巨大なコブラのように鎌首をもたげて、殺し屋の乗る車に突進していった。
 チュイーンとヘルメットの横を弾丸がかすった。
「くそっ」
 本多は罵りながら上体を大きく左右に振った。
「カワサキ、生きとるかあ?」
「あたりまえじゃ。ヘナチョコ弾なんかに当たるかい」
 カワサキはそう言ったあと、
「おぅおぅおぅ」と吠えた。
 本多も負けじと叫ぶ。
「ぼーんとぅびわー」
 ビシっという音と共に車体がぐらついた。
 フロントのどっかに着弾したんやろ、このままじゃ、やられる、どないしたらええのんか。そや。本多に閃きがきた。
「カワサキ、クラクションや」
 言うと同時に本多はボタンを押して、クラクションを鳴らしっぱなしにした。カワサキもすぐに反応する。クラクションと爆音のミックスされたノイズが前方に迫る殺し屋を襲った。
 突然の轟音に殺し屋は集中力を失ったのか、銃声はしても弾は当たらなかった。そして数秒後、車は二台のオートバイと正面衝突寸前に右に逸れた。それまで車が占めていた空間にオートバイがなだれ込む。本多とカワサキは歓声を上げながらウイリー走法を止め、道幅いっぱいを使ってUターンした。次の攻撃に備える必要があったからだ。
 二人が見ると黒い車は走行車線に戻っており、運転席に立っていた男の姿はなかった。すぐにUターンしてくると思われたが、そのまま走り続け、直線の端のカーブを曲がって彼らの視界から消えた。
「どうなっとるんじゃ?」とカワサキが言った。
「プロ意識が低い奴じゃのぉ」
「キャッチフレーズはなかなかのもんやったが、なんせオークションに出てる程度やしな。まあ、そん中でもましなのを選んだつもりやけど」と本多が苦笑いして言う。
「もしかして、途中で待ち伏せしとるかもしれんで」とカワサキ。
「まあ、その可能性は無きにしも非ずやが。おいまて、途中っておまえ、また益田に引き返すちゅうことか?」
 本多は大袈裟に驚いてみせる。
「なに言うとる。おまえも、そのつもりじゃろうが」
 カワサキが呆れ顔で言った。
「まあな」
 本多はあっさり認めると、おい、と言葉を続けた。
「あそこに何か黒いもんが落ちとるが、ありゃなんやろ」
 本多が指差したのは百メートルほど向こうの対向車線にある黒っぽい物体だった。そのとき直線の端のカーブから対向車が現れた。長距離輸送のトラックだった。トラックはかなりのスピードで近づいてきた。
「おい、油断すなよ」と本多が言い、カワサキがうなずく。
 トラックは瞬く間にその姿を大きくし、先程本多が指差した黒いものを風圧で吹き飛ばして二人に迫ってきた。本多はイージーライダーのワンシーンのように車の窓からライフルの銃身が突き出されるかもしれないと身構えながら、カワサキに目で注意を促した。カワサキも同じことを考えていたらしく、緊張の面持ちだった。しかし、ゴーっという音と風を彼らに浴びせただけで、トラックはあっけなく通り過ぎていった。
「なんじゃらほい」
 体から緊張を解きながらカワサキが言った。
「拍子抜けじゃ」
「なかなか映画のようにはいかへんな。まあ、それでええんやけど。そらそうと、トラックが飛ばした黒いもんを見にいこか。なんとなく気になるよってな」
 本多はクラッチを切ってギアを入れると、バイクを発進させた。カワサキもそれに続く。地面に張り付いている黒い物体のそばまで行った彼らは、バイクを下りた。
「こりゃ、たまげたな」
 そう言ってカワサキはその物体をつまみ上げた。それはカツラだった。
「特注やで。もみあげまで付いとる。ここまでくると病気やな」と本多が呆れる。
「マニアってのは、そんなもんじゃろう」
「そやな。そやけど、何でこんなもんがここに落ちとるんやろ」
「たぶん風圧で頭から飛んだんじゃろ。急カーブ切ったしな」
「それでか」と本多が言った。
「それで運転席に奴の姿がなかったんや。自分のイメージダウンを恐れたんやろ」
「なら、あいつにとって二重の動機ができたってことじゃな」とカワサキが言う。
「どゆことや?」
「つまり仕事としてのミッションと、口封じのためのそれ」
「なるほど。なら、手を打たにゃならんな」
「どがぁするん」
「まかしとき」
 本多はハーレーのバックシートの両脇に取り付けてあるサドルバッグの中にカツラを収めると、皮ジャンのポケットからPWA用の超小型コンピュータを取り出し、全周波数帯域サーチモードにして、ヘルメットに装着されたマイクでゴルゴというキーワードを音声入力した。殺し屋が自分のPWAにそのキーワードを設定していれば、このメッセージをピックアップする可能性がある。続けて本多はメインのメッセージを録音した。
「手短に話すで。依頼はキャンセルや。あんたが落としたもんはしばらく預かっとく。必ず返すけん心配すな。わしらに手を出せば、秘密が世間に知れるよう手配したけん」
 録音を終えると、本多は二十四時間発信設定にしてサーバーにアップした。これで、相手が受信するまで一定間隔でメッセージの発信が続くことになる。
「これでええやろ。まあ、どうなるかわからへんけど。もしかしたら待ち伏せされるかもしれへんな」
「そうじゃな。なら、時間は食うが遠回りするか。海沿いの道と平行に走っとる山ん中の道を行くんじゃ」とカワサキが提案する。
「もうじき日が暮れるな」と本多が左後方を振り返って言った。
 秋晴れだった空は、天頂部から水平線にかけて、透明な青から薄いオレンジ色へとグラデーションを描いている。やがて太陽が刻々と大きさを増し、日没の壮大な光景を見せてくれるだろう。
「打歌山に着く頃には黄昏れとるじゃろう。行ってどうなるんか、何がしたいんか、おまえわかっとるんか?」とカワサキが訊いた。
「いや、具体的になんも考えてへん。ただ、あの子のことが気になるだけや。おまえは、どや?」
「わしも同じじゃ」
「そうか。結果的にあの子が、わしらの死出を引き止めたことになるな。間に合えばええが」
「どがぁじゃろう。けど、もう一度会える気がするで」
「そやな。さ、いこか」
 本多は上げていたヘルメットのシールドを元に戻すと、クラッチレバーを引いてギアを一速に入れた。
 彼らは再び益田に向けて直線道路を進み、殺し屋の車が走り去ったカーブ手前の脇道を右折して山の中に入っていった。標高が上がるにつれて、中央ラインのある二車線道路はやがて一車線になった。バイクのシートから見上げると、前方に広がる空が夕陽に照らされて、まるで西方浄土のように燃えている。エンジン音を響かせながら通り過ぎる村を包む大気は、夕方独特の青に染まってきた。そして空の高みには、静かに出番を待つ月がかかっている。
「今夜はええ月夜になるな」とカワサキが言った。
「そやな。おかげで山道も歩きやすい思うで」
 本多は月光を浴びながら打歌山を登っていく自分たちの姿を想像した。
「けど、少し寒うなってきたな。やっぱ夏みたいにはいかん」
 カワサキは少し声を震わせた。
「普通のツーリングやないけん、合羽も持てきてへんしな」
 本多はそう言って皮ジャンのジッパーを引き上げ、襟を立てた。
 それから彼らは小一時間ほど走り、昼間とは反対の方向から打歌山に近づいていった。山は残照の空をバックに不思議な存在感を見せていた。空気は澄んではいるが、とろっとした密度も併せ持っていた。
 途中で昼間通った道に合流し、細い山道を登っていくと、やがてドーム形の建物がバイクのヘッドライトに浮かび上がってきた。
「夕波さん、中におるろうか」とカワサキが言う。
「どやろな。たぶん宇宙船の中やないかな。眠る彼氏に付き添ってるやろ」
「そうじゃな。ともかくバイクをとめるか」
 カワサキはドームハウスの前庭にバイクを乗り入れ、本多がそれに続く。アイドリング状態になったエンジンは、走行中ほどではないにしても腹に響く音を発しており、ハウス内に夕波がいれば何らかの反応があるはずだった。
 ヘッドライトがドアを照らしている。ドアの脇に指紋照合用のパネルが見える。本多はそのパネルに白く細長い指を押し当てている夕波を思い浮かべた。そして、あの子がこの地球からいなくなるなんて、あっちゃならんやろと強く思った。
「どうやら気配がないようじゃな」とカワサキが気落ちした声を出す。
「山道を登ってあの岩んとこに行っても、リモコンがないと入れへんしな。今夜はここで野宿するか」と本多が言った。
「野宿いうても、どがぁするんじゃ」
 カワサキはハーレーに跨ったまま、そう訊いた。
「わしらは鉄の馬に乗ったカウボーイやん。カウボーイは野宿するもんと相場が決まっとる」と本多が答える。
「そうか、カウボーイか。オールド・カウボーイやな」
 カワサキは納得した顔でキーに手を伸ばし、エンジンを止めようとした。
「おい、待て。明かりがいるけん、バイク回して、こっち照らしてんか」
 本多は両足を使って自分のバイクの向きを変えながら、ヘッドライトのビームでハウスの右手奥を示した。カワサキが見ると、畑とその奥にある雑木林が照らし出されていた。
「さっきここに入ってくるときに気づいたんや。どうやら家庭菜園みたいやな。なんか食えるもんがあるかもしれへん。まず薪を集めて火を熾そう」と本多が言うと、
「よっしゃ。そういやあ、腹減ってきたもんな」とカワサキは丸く突き出た腹部をさすった。
 二台のバイクのエンジンをかけっぱなしにしておいて、彼らはさっそく雑木林に分け入って枯れ枝や落ち葉を集めてきた。そうして畑の手前にある平地に積み上げると、本多が皮ジャンのポケットからライターを取り出した。今回オートバイを買った際に、販売店のオーナーにもらったジッポーのオイルライターだった。ライターの側面にイージーライダーのロゴがレリーフになっている。本多が点火すると、まず下の方に敷いた枯れ葉が燃え上がり、その炎が小枝に移った。
「すまんが、大きめの木を集めてきてんか」と本多が頼んだ。
「おう」
 カワサキは再び林に向かい、本多は火が消えないように注意深く焚き火を作っていった。やがてカワサキが両腕に枯れ枝を抱えて戻ってくると、数本を火にくべたあと、彼らはバイクのエンジンを切った。
 しばらくは耳にエンジン音の残響があったが、間もなく静寂がそれに取って代わった。
 カワサキが集めてきた枯れ枝はやがて真っ赤に燃え上がり、しだいに熾になっていった。焚き火を囲んで地面に座った彼らの顔を炎が赤く染めている。
「このくらい灰ができたらいいやろ。カワサキ、火の番頼むで」
 本多はそう言って立ち上がった。
「どこにいくん」
「晩飯を調達するけん」
 そう言い置くと、本多はハウスの側に建っている小さな物置小屋まで歩いていった。そして引き戸を開けると、
「思うた通りや。畑仕事の道具がある」と振り返ってカワサキに言った。
 本多は月明かりに照らされた小屋の中から鍬を取り出すと、それをかついで菜園に行った。
「何を掘るんじゃ?」とカワサキが声をかける。
「まあ見ときや」
 本多は鍬を振り上げると、地面を掘り始めた。しばらくして彼は両手に掴んだものを物置小屋の側にある水道まで運んで、水を流しながら洗い始めた。付いている土を落とし、両手で振って水気を切ると、焚き火まで戻ってカワサキに見せた。
「芋か」
「そや。熱い灰の中に埋めておくと、ええ感じに焼けるで。腹の足しにはなるやろ」
 本多は大振りなサツマイモを四つ地面に置くと、側にあった木の枝で灰を掻いて小さな穴を掘り、その中に芋を埋めた。
「あとは焼けてからのお楽しみや」
 本多は嬉しそうに言った。
「何か熱いもんが飲みたいのぉ」とカワサキが溜め息まじりに言う。
「ほんまやな。普通のツーリングなら自炊セットを積んでるんやが、今日は特別やしな。まあ、喉乾いたら、そこの水道から飲みゃええやん」
「そうじゃな。ほれ、おまえも腰下ろして火に当たれ」
 カワサキは焚き火の向かい側を指差した。
「おう」と本多は地面に座る。
 日が落ちたあと気温は下がっていたが、焚き火の熱が寒さを和らげていた。
「長い一日やったな」と本多がしみじみと言った。
「ああ。けど、まだ終わっとらんじゃろう。今までは予告編みちょうなもんで、これから本編が始まるんちゃうか?」とカワサキが返す。
「そやな。なんかそんな予感がするけん、まずは腹ごしらえしよ思たんや。戦になるかどうかは、わからへんが。そりゃそうと、夕波は母船の中におるんやろか? あの宇宙人が目覚めたら、辛い選択が待っとるしな。わしがこんなこと言うのも変やけど、あの子を何万光年も彼方の星へなどやりとうないねん」
 本多はそう言うと寂しそうな顔をした。
「そりゃ、わしも同じじゃ。しかし、わしらはなんであの子が気に掛かるんじゃろう。わしらから見れば孫みちょうなもんなのに。一方では、わしらはほんとの孫たちを残してこの世を去ろうとした。むろん幸せを願いながらではあるが」とカワサキが首を傾げる。
「たぶん、こういうことやろ。孫や子なんかの肉親たちとは、ある距離感があるんや。これは水臭いちゅう意味やのうて、たとえ親しい間柄でも別個な人格ちゅう当たり前のことなんやけどな。それが夕波に対しては、そうやない気がする。あまりにも近いいうか。なんやろな、この感じは」
「そりゃきっと魂が近いいうことかもしれん。むかし読んだ本の中に、全ての生き物の魂は大きな一つの木みたいなもんで、それが無数に枝分かれしとるんじゃけど、末端の小枝の隣同士の葉っぱは親密じゃと、ほぼおんなじ魂と言ってええと、そんなことが書いてあった」
「なら、わしもおまえも夕波も、ごく近い魂の持ち主ちゅうわけか」
「そうじゃな」
「うーむ、おまえとは幼稚園からずっと一緒やし納得できるが、人生も終わり近くになって、そんな親しい間柄のもんと出会うなんてな」と本多は感動を覚えながら言った。
「思うに、人生において、いつ出会うかよりも、出会うか出会わんかということじゃないろうか?」
 カワサキはそう言うと、鼻を鳴らした。
「おい、ええ匂いがしてきたのぉ。そろそろ食べ頃じゃあないか?」
「もうちょいやな。とたんに腹が減ってきたで」
 本多も香ばしい匂いを吸い込んだ。
 辺りはすっかり暗くなり、木のシルエットや山の稜線に切り取られた夜空に、真ん丸な月が出ている。風は無く、穏やかで透明な秋の夜だった。
 五分ばかり様子を見たあと、本多は木の枝を手にして灰の中から芋を掘りだした。表面は焦げていたが、草の上でしばらく冷ましたあと手に取ってみると、適度な弾力が食欲をそそった。
「さあ、食うか」
 本多は手のひらで灰を払うと、二個の芋をカワサキに手渡した。
「待ってたで、お芋ちゃん」
 カワサキは戯けて言うと、両手で芋を二つに割った。とたんに湯気が立ち上り、旨そうな匂いが漂った。息を吹きかけたあと、さっそく口にする。
「こりゃぁ旨いで」とカワサキは嬉しそうだ。
「そやな」
 本多も、ほくほくと口を動かす。
「食いもんがこんなに旨い思うたんは久々かもしれん。まさに生きとるちゅう感じがするな」
 二人はしばらく黙って焼き芋を食べた。どこからともなく虫の音が聞こえてくる他は、これといって音のしない静かな夜だった。
「おい」と不意に本多がささやいた。
「なんじゃ」
 カワサキも釣られて小さな声で言った。
「何か音がせえへんかったか?」
「どんな」
 カワサキは耳を澄ましてみる。
「虫の音しか聞こえんで」
「何かが近づいてくるような音がしたんや。いや、音がしたちゅうよりも、気配がしたんかもしれへん」
 本多は注意深く周囲を見回した。月光が注ぐ木々の梢が、夜の中に静かに横たわっている。思い出したように風が立って、木の葉をさわさわと揺らした。
「あっ」とカワサキが声を上げた。
「聞こえたで。あっちの方からじゃ」
 カワサキの指先は、昼間夕波が先導して登っていったドームハウス右手の山道を指していた。
「誰かが坂を下りてきよるな」と本多が言った。
「夕波さんじゃろうか」
「いや、違うやろ」
「なら」
 カワサキは、その後の言葉を飲み込んで本多を見た。本多の顔に緊張が走った。
「カワサキ、音を立てんように農機具小屋まで行って、武器になりそうなもんを調達するんや」
「おう」
 二人は焚き火の側からゆっくりと立ち上がると、抜き足差し足で小屋に向かった。小屋に着くと、できるだけ音がしないように引き戸を開けた。本多がライターを点けると、小屋の内部は一瞬オレンジ色に染まった。カワサキはスコップを手に取り、本多は鎌を掴んだ。そして戸を開けたまま焚き火のところに戻ると、山道の方に顔を向けて腰を下ろした。
「油断すな」と本多が言い、
「わかっとる」とカワサキがうなずく。
 何かが近づいてくる気配はますます濃厚になり、本多は背筋に悪寒を感じ始めた。カワサキも座ったままスコップの柄を握りしめている。それからしばらくして彼らの緊張がピークに達したとき、ふっと気配が消えた。
「ありゃ?」
 カワサキは、そう言って大きく息を吐き出した。
「殺気みたいなもんが消えてしもうたな」と本多も怪訝そうな顔をする。
「熊かなんかかもしれんな。熊なら早朝や夕方に活動するけぇな」とカワサキは、そう思い込もうとするかのように言った。
「幻聴やったかな。わしら、いささか疲れたんかもしれへん」
 本多は体から緊張を解きながら、持っていた鎌を地面において、ふと山道の方を見た。
「ぐっ」と本多は息を呑む。
 本多の視線の終点には、焚き火の炎と月明かりに照らされた人影があった。カワサキも本多の視線をたどり、目を見開く。驚きで声も立てられない二人が凝視する中を、人影はゆっくりと近づいてきた。本多は気を取り直して、いったん置いた鎌を右手で握りしめた。カワサキもスコップに手を伸ばす。
 薄闇にぼんやりと溶けていた人影は、近づくに連れてその正体を現してきた。それは長身の男で、体を黒っぽいマントで包んでいる。髪は長めで、グレイがかった色をしており、顔付きは一種独特だった。西洋人のようでもあり、色白な東洋人のようでもある。この段階で、すでに本多とカワサキには男の正体がわかっていた。
「あんた」
 そう言って本多は、ゆっくりと立ち上がった。鎌は持ったままだった。カワサキも本多に続く。
「カプセルに横たわってた人やろ?」
 本多の問い掛けに無反応なまま、男はさらに近寄ってきた。
「おい」
 言いながら、カワサキはスコップを手に身構えた。
 男はもう数歩近づいたあと、動きを止めた。男の目付きは妖艶な感じがした。年齢は三十代後半から四十代初めといったところだろうか。夜の闇を背景に、チロチロと燃える焚き火に照らされたマント姿の男はまるでヴァンパイアのようだった。
 二人と一人は立ち尽くしたまま、しばらく向かい合っていた。本多は自分の心臓の高まりが相手に聞こえないことを祈った。
「わたしは」
 突然、男が口を開いた。幾千の夜の秘密に磨かれたような深く響くバリトンだった。
「怪しい者ではありません。この家の住人です。あなた方は、他人の家の庭で何をしているのですか?」
「しゃ、喋った」とカワサキが驚きの声を上げる。
 本多はカワサキの方をちらっと見たあと言った。
「たしかに、わしらは闖入者や。じゃが、あんたがこの家の持ち主やいう証拠でもあるんかいな」
 男は本多の言葉を受けて、しばし無言でいたが、
「いいでしょう。付いてきてください」と言ってドームハウスの方へ歩き始めた。
 本多とカワサキは互いに顔を見合わせたあと、男に続いた。

GGライダー Part.4