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 午前九時を待ちわびて、オープンと同時に郵便局内に入った。番号札をお取り下さいというアナウンスは無視して窓口に並んだ。今日はわしが一番乗りやし関係あらへん。本多は革ジャンの内ポケットから貯金通帳を取り出してチェックした。なんとかいけるわ、そうつぶやいた本多は、さっそく払い戻しの手続きを始めた。
 十時には彼のオートバイが納車されることになっていた。販売店にはもう届いており、整備の最終点検がなされているはずである。ヘルメットは特注で、本多のヘルメットには日本の国旗をデザインしたイラストが描かれている。相棒のカワサキのはキャプテン・アメリカと同じく星条旗だ。
 キャプテン・アメリカかあと本多は思った。ほんとはわしがキャプテン・アメリカのはずだったんや。けど、あいつがどうしてもピーター・フォンダと同じんがええと言い張るもんやから、しゃあないわ。考えてもみいな、フォンダと本多なら、わしの方がより適役に決まっとるやんか。

 本多とカワサキは幼なじみである。二十一のとき二人して映画に行き、公開されたばかりの『イージー・ライダー』を観た。1969年のことだった。
 1960年代後半から70年代にかけてアメリカン・ニューシネマというムーブメントがあり、反体制的な人間の心情を題材とした映画が数多く作られたのだが、『イージー・ライダー』もその中の一つだった。デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダという、後で思えば凄い面子で撮られた映画だった。二人にとって、この映画の印象は強烈で、まさに青春時代のシンボルだった。
 七十七歳になったある日、本多はカワサキに提案した。
「なあ、わしらもだいぶポンコツになってきたやん。お互い連れ合いに先立たれ、子供も自立し、孫も大きゅうなったことやし、このへんでカッコよう死んでみいへんか? ポックリ逝くんならまだしも、病院や介護施設で生きる屍になるんはまっぴらやけん」
「死んでみんかって、おまえ」
「ほれ、若い頃一緒に観た映画覚えとるやろ?」
「イージー・ライダーか?」
「そや。あの映画のラストのように華々しく散ろうやないけ」
「華々しいちゅうより、ありゃあ哀しかったけどな」とカワサキは遠い目をする。
「まあいいがな。どや」
「ええよ」
「さすが、わしの竹馬の友や」
 本多は嬉しそうにカワサキの肩を叩いた。
「で、どがぁして散るんじゃ?」
「ハーレー買うて、海沿いの道を西に向かうんや。心おきなく走ったと思う頃、そこにはわしらが雇った殺し屋がライフル構えて待っとる」
「殺し屋っておまえ、映画じゃあるまいし」
「きょうび金さえ積めば、あいつらの一人や二人何とでもならあ」
「自分で雇った殺し屋に人生の幕引いてもらうんかね」
「おうよ。これも一種の安楽死やん。昨今流行りのパッケージ化された安楽死産業の世話になるより増しじゃ」
「そういのぉ。そうかもしれんのぉ」とカワサキは深くうなずいた。

「本多さん」
 係の女性に名前を呼ばれた本多は窓口に行き、大枚を受け取った。殺し屋には、株券を処分してすでに支払ってある。あとはその瞬間を待つのみである。
「カワサキの奴、もう行っとる頃や」
 そうひとりごちた本多は、待たせてあったタクシーに乗り込んで販売店に向かった。
 ハーレーダビットソンのオートバイを扱っているその店は市内の外れにある古い寺のそばにあった。ハーレーの専門店というわけではない。今時、ガソリンエンジンを載せた趣味性の高いマシンだけでやっていける店などあるはずもない。四輪車も二輪車も、そのほとんどがバッテリー駆動になっており、この店が扱っているのも、そういった二輪車が主だった。
 一種のスポーツとしてオートバイに乗るとき、爆音も振動もない電気二輪車は快楽度が低いという理由で、爆音と振動の発生装置がオプションとして車体に取り付けられるようになっていた。しかし、そんなまがいもので満足できない連中のために、ガソリンエンジンで走る本来のオートバイも存在していた。ただ、とんでもなく高価ではあったが。
 本多とカワサキが選んだのは、もちろん本物だった。それも、新車ではなく約二十年前に製造された中古車にした。
 車種を選ぶ際に、二人は茶を飲みながら何度も話し合った。
「できりゃあ、イージー・ライダーんと同じもんがええけどな」とカワサキが言う。
「なんぼなんでも、そらあかんわ。半世紀以上も前のもんは無理やで」と本多が返す。
「そか。ほんなら新車にすっか」
「おまえは極端すぎるんや。新車は高すぎるし、デザイン的に深みがないやろ?」
「そうじゃろうか」
「そや。せめて二十年落ちが限度やろ。その代わり、イージー・ライダーの雰囲気が出るようにタンクをペイントしたり、フロントフォークを長くしたりするんや。ついでにヘルメットや皮ジャンの背中にもペイントしてな。ピーター・フォンダが乗っとった『キャプテンアメリカ号』はソフテイル系のバイクを改造したものやし、デニス・ホッパーの『ビリー号』はダイナ系のカスタムや」
 彼らはマシンを絞り込んでいき、市内の二輪ショップとも相談の上、その店に中古を探してもらうことにした。
 結局、カワサキは約二十年前のモデルである2006年製のFXソフテイル・スタンダードを、本多は同じく2006年モデルのダイナ・ワイドグライドをそれぞれ購入することにした。
 カワサキのソフテイル・スタンダードは前オーナーによってすでに改造されており、タンデム用背もたれのシーシーバーや、手前に大きく湾曲しているエイプハンガーハンドルが装着されていた。しかしタンクは車体色の黒のままだったので、ショップに頼んで、『キャプテンアメリカ号』と同様な星条旗をペイントしてもらった。
 本多のダイナ・ワイドグライドは元々フロントフォークが寝かされたいわゆるチョッパー風のモデルだったが、さらに『ビリー号』と同程度まで伸ばすことにした。ハンドルはノーマルのエイプハンガーで十分だった。そして車体色の青いタンクには、白地に赤い日の丸を描いてもらった。
 さらに、ヘルメットにも同じデザインでペイントしてもらい、革ジャン、手袋、ブーツも用意した。これで死出への準備万端が整ったことになる。
 二輪車ショップの前でタクシーを降りた本多は、ガラス張りの引き戸を開けて中に入っていった。
「あ、本多さん」
 ショップオーナーの嫁さんが笑顔を見せた。
「まいど。カワサキの奴、来とるやろか?」
「ええ、お見えになってますよ。今、主人と一緒に修理場に」
「そうか。いよいよご対面やな」
「すごくかっこいいバイクですよ」
「ほんまか。そりゃ楽しみじゃ。わしも行ってみるわ」
 本多は店の裏手にある修理場へ向かった。
 工場の中に入ると同時に爆音が響き渡った。本多が驚いて見ると、二台のハーレーのそばにカワサキとオーナーの白石がいた。タンクに星条旗が描かれたバイクのスロットルを回しながら、白石がカワサキに何かを説明している。そして彼らの横には、日の丸の赤が眩しい本多のマシンがあった。
「よお」と声を掛けて二人に近づいていくと、カワサキが手を振り、白石も軽く会釈した。
「ええ音がしとる」
 本多がうなずきながら言うと、
「そうですね。古いマシンですが、エンジンはしっかりとしてますね。オーバーホールも済ませてありますし」と白石が言った。
「ほれ、おまえのもかけてみんさい」
 カワサキが本多のマシンを指差した。
「おう」
 本多はゆっくりとオートバイに近づいていった。フロントフォークやマフラーのメッキが美しく光っている。日の丸にペイントされた部分以外のタンクと、リアフェンダーは濃いめの空色に塗られている。まるで青空に浮かぶ日本の国旗のようだ。
 本多はマシンに跨ると、スタータースイッチを押してセルモーターを回し、エンジンを始動させた。ドルルルルッっという小気味よい爆音と振動が、辺りの空気を震わせた。
「たまんねえな」
 本多が叫ぶ。
「なんちゅう官能的な音なんや」
「エンジン絶好調ですよ」
 白石が声を張り上げた。
「おまえんも、ええ感じじゃのぉ」
 カワサキも大声を出して、自分のマシンのスロットルを回した。
 それぞれに特徴のある二種類のエンジン音が、絶妙なハーモニーを奏でながら、修理場の内部に満ちていった。
 本多は、それからしばらくアイドリングを続け、その間にタンクのペイントの具合やクラッチの調子などをチェックしたあと、エンジンを切った。カワサキも同様にして、辺りは急に静かになった。
「おおきに。ええの世話してもろて」
 本多は白石に礼を言った。
「ほんとじゃ。白石さん、すまんのぉ」
 カワサキも、にっこりとする。
「お役に立てて光栄です。お二人はオートバイ乗りの鑑ですから」
 白石が尊敬のまなざしで言った。
「失礼ながら、そのお歳でハーレーを乗りこなせる方は、なかなかいませんよ」
「まあ、若い時分に乗っとったけぇ」とカワサキが言った。
「それに、白石さんがハーレー貸してくれんさったから、何十年かぶりに練習して昔の感覚を取り戻すことができたんじゃ」
「その通りや」
 本多もあいづちを打つ。
「おおきにな」
「いえいえ。では、引き渡しに関する書類をお渡ししますので、事務所へお越しください。コーヒーでも淹れましょう」
「ほな、ごちそうになるか」
 彼らは連れ立って修理場を出た。そして事務所で、白石の妻が用意したコーヒーを飲んだ。
 窓の外から秋の日差しが射し込んでおり、どこか遠くの方で鳥が鳴いた。今日がこの世での最後の日だという実感がわかへんなと本多は思った。最後というより、このゆったりした時間の流れに身を任せとると、むしろ永遠を感じてしまう。それは、もうじき永遠の流れの中に還っていくからやろか。
「本多、どがぁしたんかね」
 カワサキの声がした。
「おまえ、さっきから、ぼーっとして」
「いや、どうもしてへん」
「しとった」
「してへんて。ただ、なんだかほっこりするなあ思うてな」
「ほっこりか。そう言や確かにそんな感じじゃな。嵐の前の静けさいうか」
「おまえ、そりゃ例えがちゃうやん」と本多が笑う。
「これから、さっそくツーリングですか?」
 白石が訊いた。
「そや。ちょっと長めの旅に出よか思うとる」
「長めって、どのくらいですか?」
「さあな。その先のことはわからへんよ」
「つまり、期限を決めない気ままな旅ってわけですね?」
「まあ、そんなとこや」
「白石さんも、歳取ったら、やってみんさい」とカワサキが言った。
「そうですね。リタイヤしたら、日本中をオートバイで回りたいですね。温泉にも入りたいな」
 そういうこっちゃないんやけどと思いつつも、本多はあえて何も言わずにカワサキの顔を見た。カワサキは眉を動かして、かすかに微笑んだ。
「さて、そろそろ出発しますわ」
 本多はカップに残ったコーヒーを飲み干すと、椅子から立ち上がった。カワサキもカップをソーサーに置いて本多に続く。
 彼らは修理場まで戻り、オートバイのエンジンに火を入れた。再び辺りに爆音が響き渡る。エンジンをアイドリング状態にしたあと、二人は各々ヘルメットと手袋を装着し、持参した小型のバッグをシートの後部にゴムベルトで括り付けた。そうしてシートに跨ると、そばで見守っていた白石を見た。
「お世話になりやした」と本多が言った。
「最高のハーレー探してくれんさって、ありがとう」
 カワサキも言った。
「お気をつけて。道中の無事を祈ってます。ありがとうございました」
 白石は深々と頭を下げた。
「ほな、いこか」と本多が言い、
「よっしゃ」とカワサキが答えた。
 二台のハーレーはゆっくりと道路まで出ると、小気味良いエンジン音を響かせて発進し、晴れ渡る秋空の下を西に向かった。
 十分ほど走って河口に架かる橋を渡り、空港入口を左手に見てさらに進むと、右手に海が広がった。波はそう高くはなく、岸近くの海面は深緑に染まっていた。その時を目指して、これから海沿いを走っていくのだ。
 二台のハーレーは海を右手に見ながら快調にクルージングを続け、小一時間ほど走ったあと、笠山という小さな死火山のある辺りまで来た。あと十分も走れば萩に着くだろう。萩は明治維新に活躍した多くの人材を輩出した歴史的に有名な町だ。その町を通過して、海に沿う道をさらに西に行くと、本州の端に出る。そこの海峡を挟んだ向かいは九州だ。そして、その海峡に至る道のどこかに、ライフルを構えた殺し屋が潜んでいるはずだった。ノンストップで走って約二時間の距離である。二時間以内のどこかの時点で、この世と別れを告げることになる。
「このまま通過するか? それとも飯にするか」
 萩が間近の直線道路で、ヘルメットにセットしてあるマイクに向けて本多が言った。
 ヘルメット内の耳の位置にはスピーカーがセットされており、様々なチャンネルの無線デジタル放送を聴くことができる。また自分固有のサーバーに好みの音楽データベースを構築しておいて、手元にある超小型PCを操作して聴いたり、会話優先にセットしておけば、コンタクトがあった時だけ他の受信が中断され、話すことができたりする。
 このPWA(パーソナル・ワイヤレス・オーディオ)を、本多とカワサキは今回のツーリングのために導入した。走りながら話したり、イージーラーダーでかかっていた曲、すなわちSteppenwolfのBorn To Be Wildや、Jimi Hendrix ExperienceのIf Six Was Nineや、The BandのThe Weightなどを聴きたかったからというのが、その理由だった。
「調子出てきたけぇ、このままいこか」と耳元のスピーカーからカワサキの返事が聞こえる。
 ちょうどそのとき、対向車線をこちらに向かっていた大型トラックの後ろから一台のオートバイが飛び出してきた。赤いハーフカウルのモトグッチだった。直線なので追い抜こうというのだろう。二台のハーレーとの距離は十分にあったので、グゥイーンとトラックを抜き去り、元の車線に飛び込むものと思われた。
 しかし、赤いモトグッチがトラックの横に出ると同時に、トラックはいきなりスピードを上げつつ右にハンドルを切ってオートバイに迫った。ライダーは慌ててブレーキをかけながら自分もハンドルを切ったが、バランスを崩して転倒した。
 アスファルトの上を車体と一緒に滑り始めたライダーは、近づいてくるハーレーを認めたのか、持っていたハンドルから手を離して地面に転がった。赤いカウルを壊しつつ、地面との摩擦で金属部分から火花を飛ばしながら、モトグッチは横倒しのまま二台のハーレーに向かって突進してきた。
 トラックはオートバイの転倒を確認したからか、また元の車線に戻ってハーレーの横を猛スピードで通過し、走り去った。本多はトラックのナンバープレートを読もうとしたが、迫り来るモトグッチに気を取られて叶わなかった。
 本多は道路を滑ってくるオートバイの進路を読んだ。そして、ハンドルを切って対向車線側に寄った。カワサキも同じくコースを読んだのだろう、ハンドルを左に切って路肩側に寄った。その瞬間、二台のハーレーの間を赤と黒の金属の塊が鋭い音を立てながら通り抜けていった。
 前方の路上にはライダーが倒れていた。フルフェイスのヘルメットは被ったままだったが、うつ伏せ気味に地面に横たわり、微動だにしていなかった。
「生きとるろうか」とカワサキが言い、道路の左端にハーレーをとめた。
「とにかく助けるんや」
 本多も、その隣にとめる。
 二人は横たわる黒ずくめのライダーに駆け寄った。皮ジャンと皮パンツにライダーブーツを身に付けている。フルフェィスのヘルメットは赤で、後頭部が大きな傷になっていた。転倒時に地面で擦ったのだろう。
「おい、だいじょうぶか?」
 本多はしゃがみ込んで、ライダーの肩に手をかけながら言った。
 体を軽く揺すっても反応がないので、両手で仰向かせると、胸のふくらみが目に入ってきた。
「女じゃあ」とカワサキが驚いて言った。
「そやな、びっくりや。とにかく、ここから動かすんや。車が来たら轢かれてしまう」
 本多は女の脇の下を両手で抱え、カワサキが足を持って、道路の端に運んだ。
「メットを脱がせるんや。手伝え」
 本多はライダーの首を手で少し浮かせて、ヘルメットが取りやすいようにした。カワサキは首もとにあるホルダーを外し、両手を使ってヘルメットを脱がせた。
 現れたのは若い女だった。髪は短めで顔色は青ざめていたが、目を閉じていてもその美しさは伺えた。
「ねえちゃん、しっかりするんや」
 本多は女の耳元で呼びかけた。
「息しとるろうか」
 カワサキが覗き込んで、女の口元に耳を寄せた。
「おお、ちゃんとしとる」
「そうか。ほな、体を横向きにするんや。喉に舌が落ち込んだり、ゲロが詰まったりして窒息せんようにな」
「よっしゃ」
 二人は女を横向きにしたあと、交互に声をかけ続けた。しばらくすると、女は大きく息を吸い込み、吐き出した。そして薄目を開けたが、焦点は定まらないようだった。
「カワサキ、水を頼む。水筒持ってきてくれ」
「いや、こがぁな場合は飲み食いさせたらいけんて、前に救急法の講習受けたときに聞いたことがあるけえ」
「そりゃ、意識の無い場合やろ。気付け薬の代わりにちょっと飲ませるだけや」
「わかった。待っとき」
 カワサキはハーレーのシートに積んであるバッグのサイドポケットから水筒を取り出すと、外した蓋に水を注いで女の口元に持ってきた。
「ちょい待ち。体を起こすけん」
 本多は立て膝の体勢で女を抱え起こし、彼女の背中を自分の体で支えた。
「ゆっくりと飲ますんや」
 本多がそう言うと、カワサキは水の入った蓋の端を女の唇に当てて、そっと傾けた。水の冷たさを感じたからか、女は唇をぴくっと震わせたが、半開きになった口から少しずつ飲み始めた。
「おお、飲んどる飲んどる」とカワサキは嬉しそうに言った。
 蓋に半分ほどの量を飲み終えた女の目に生気が蘇ってきた。透明感のある目元をしている。最初は宙をさまよっていたそのまなざしの焦点が定まると、女は急にはっとした顔になって飛び起きようとした。途端に顔をしかめて両手で頭を抱え込む。
「まだ動いたらあかん」と本多が言った。
「メット越しにせよ、頭を打っとる」
「そうじゃ。もう少し横になっといた方がええ」
 カワサキも心配顔になって言う。
「バイク」
 突然、女の口から小さく言葉が発せられた。
「なんやて?」と本多が耳を寄せる。
「あたしのバイク」
 本多とカワサキは顔を見合わせたあと、路面を滑っていったモトグッチの行方を探した。見ると、二十メートルほど先の路肩に赤い車体が横たわっていた。
「ねえちゃんの愛車はちょっと昼寝中や。あんたも、もすこし横になっときや」と本多が言った。
「いかなくちゃ」
 女はそう言って体を起こそうとする。
「まあ、待ちいな。今は動かん方がええ」
「遅れちゃう」
「約束があるんかね」とカワサキが訊いた。
「会えなくなる」
「誰にや」
「ようそんなアホなこと訊くわ」と本多が言った。
「ええ人に決まってるやろ?」
「あ、そうか」
 カワサキが苦笑いする。
「バイクのとこに連れていって」
 女は必死な顔をした。
「おまえ、ちょっと様子見てこいや」
 本多がカワサキに言った。
「よっしゃ」
 カワサキは小走りに転倒しているオートバイのところまで行き、点検を始めた。
「災難やったな」
 本多は着ていた皮ジャンを脱いで丸め、枕代わりにして女を横たえた。
「あのトラックのナンバーは、残念ながらよう見んかった。女のライダーだと知って、嫌がらせをしたんやろな。殺人未遂やで。そやけど命に別状のうて、ほんまによかったで」
「ありがと。助けてくれて」と女は弱々しく言った。
「あたしのバイクは?」
「今、相棒が見にいっとる。けど、すぐに乗るのはやめといた方がええ。も少し休んでからや」
「でも」
 そこへカワサキが戻ってきた。
「だめじゃ」
「どないやねん」
「フロントフォークが歪んどる。走るのは無理じゃ。一応車体を起こしといたけどな」
「そんな」
 女が悲痛な声を出した。
「そんな」
 女はもう一度言うと、静かに泣き始めた。両の目にあふれた涙に日光が反射して、世界一美しい宝石のように煌めいた。
「なあ、ねえちゃん、生きとったらまた会えるけん」と本多が言った。
「そうじゃ、この世からおらんようになるわけじゃないろうね」
 カワサキも優しく言った。
「いなくなるの、この世から」
 女は涙声で答えた。
「って、まさか」
 カワサキは本多と顔を見合わせた。
「自殺を止めに行く途中なんちゅうことは」
「あほ、縁起でもない」と本多が顔をしかめた。
「ほやけど、他に考えられんじゃろ?」
「もう二度と会えなくなる」
 震える女の言葉が二人の老ライダーの胸に沁みていった。
「どこまで走るつもりやったんや?」と本多が訊いた。
「益田まで」
 それは本多とカワサキが後にしてきたばかりの町だった。
「連れてってやろういね」
 カワサキが目を潤ませて言った。
「なんや涙もろいやっちゃな」
 そう言う本多の目にも光るものがあった。
「けど決行が遅れるが」
「往復二時間てとこじゃろ? 長いこと生きた時間を思うと、それくらいのロスは」
「おまえもたまには、ええこと言う」と本多がニヤリとする。
「たまはよけいじゃ」
「ほな、話は決まったけん早速と言いたいとこやが、ねえちゃん動けるんかいな」
 本多が女に訊いた。
「それじゃあ、あたしを?」
「そや。タンデムになるが」
「嬉しい」
 女は肘を突いて上半身を起こすと、にっこりとした。
「今泣いたカラスがもうわろたじゃな」
 カワサキも釣られて笑顔になる。
「ねえちゃんの赤いバイクはここに残しておくで。あとで行きつけのバイク屋に電話して取りにきてもろたらええ」と本多が言った。
「はい」
「ほな、いこか。急いだ方がええやろ。ねえちゃんはカワサキの後ろに乗ってくれ。シーシーバーが付いとるけん楽やしな」
 本多は女に手を貸して立ち上がらせた。
「そらそうと、ねえちゃんの名前はどういうんや? わしは本多で、こいつはカワサキや」
「あたしは鈴木、鈴木夕波です」
「ゆうなみか。いい響きやな。どう書くんや?」
「夕方に水面に立つ波です」
「ええ名前じゃ」とカワサキが言い、
「さあ、出かけよか。夕波さんも気が急くじゃろ?」と促した。
 本多とカワサキは各々のハーレーのエンジンを始動させ、夕波はヘルメットを手にした。
「それはPWA内蔵のヘルメットかね?」と本多が訊く。
「ええ」
「わしらのも、そうやねん。ほな、周波数自動チューニングモードにしてんか。三人で話せるようにな」
「はい」
「夕波さん、乗りんさい」とカワサキが呼ぶ。
「出発や」
 本多はゆっくりとハーレーを発進させ、通りがかった車をやり過ごしてから、道路の幅を使ってUターンさせた。そして、夕波を乗せたカワサキも同じように向きを変えた。夕波はシーシーバーに背中を持たせかけた姿勢でバックシートに収まっている。
 本多が先導する二台のハーレーは、日本海を左に見ながら来た道を引き返した。三十分ほど行った辺りで、本多は夕波に話しかけた。
「ねえちゃん、いや夕波はん。乗っとるんが、しんどいんちゃうか?」
「大丈夫です」
「ならええんやが。そらそうと、益田に着いたらどこで降ろしたらええんかな?」
「打歌山って、ご存知ですか?」
「うつうたやま?」
「ほれ、あの山じゃ」とカワサキが話に加わる。
「柿本人麻呂が歌に詠んだ山で、実際に人麻呂はその麓に住んどったらしいで」
「どこらへんにあるんや?」
「旧県境のトンネル越えて五分くらい走ると、右手に小高い山が見えてくる。てっぺんにアンテナが立っとる山じゃ」
「ああ、あの山かいな。で、その山んとこに行けばええのんか?」
「はい。麓までお願いします」
「人麻呂にでも会うんかいな」
 本多はジョークのつもりで言い、夕波の笑いを期待したのだが、しばらく沈黙が続いた。
「どしたんや?」と本多が尋ねる。
「あ、すいません。ちょっと考え事してました」
「そやったな。下手な冗談言うとる場合ちゃうな」
 本多はアクセルを回してスピードアップした。

GGライダー Part.2