窓ガラスの向こうに虫の音がある。
何となく無常な気分になって、移り変わらないものなんてねーよな、などと思っていたら、ふと方丈記の序文を思い出した。
中学だか高校だか忘れたが、古典の授業で出てくる「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」というくだりである。
Webで調べて音読してみると、たまには古典もええのぉと思えた。
無常な人生だからこそ、そのときどきの状況や関係性をしっかりと味わい尽くしたいね。

ご存知のごとく、『方丈記』は鴨長明によって鎌倉時代前期に書かれた日本中世文学の代表的な随筆であり、吉田兼好の『徒然草』、清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆と呼ばれる。
仏教的無常観を基調に、大風・飢饉などの不安な世情や、日野山に閑居した方丈の庵での閑寂な生活を、簡明な和漢混交文で描いている。


方丈記

行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
玉敷(たましき)の都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。
或いは去年(こぞ)焼けて、今年造れり。
或いは大家(おほいえ)亡びて、小家(こいえ)となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中(うち)に、わづかに一人二人なり。
朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。
また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その主と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
或いは露落ちて花残れり。
残るといへども朝日に枯れぬ。
或いは花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども夕べを待つ事なし。