乾燥機持ってないんで、たまっている洗濯物を洗えない雨の日曜日には、普段なかなかはかどらない読書でもするか。
というわけで、少しずつ読み進めている本を紐解く。
その中に、常日頃おれが実感していることに近い内容が書いてあったので、紹介してみる。
おれにとっても耳の痛いことばかりなんだが、そうだよなあと共感できる。
乾燥機持ってる人も、よかったら読んでみて。

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 感情とは何なのでしょうか? 感情について学ばなくてはなりません。人々が自分たちの問題や苦しみ、そして愛について語っているのを耳にする時に、私たちはそれについて学ぶことができます。私たちは何を見つけ出すことができるのでしょうか? 男でも女でも、すべての人々が愛と呼んでいる感情は、自己中心的な基盤の上に成り立っているもので、到底、愛と呼べるものではあり得ません。このような人々にとっての愛は、相手を奴隷化することを意味しており、それはパーソナリティーのエゴイズムのようなもので、相手を自分に従属させたり、褒めて欲しいと思うのです。しかし、もしそうならないと逆に、彼らは互いにさげすみ始め、憎しみや残酷な振る舞いにもなっていきます。

 私たちは冷静になり考え直さなくてはなりません。「私はこの感覚を持っていますが、この感覚の本質は何でしょうか? どのようにして、それが私を満足させるのでしょうか?」「なぜ私は、自分の欲望のために、他の生命あるものを従属させたがるのでしょうか? 言い換えると、その人を自分の思う方法で従わせたく思うのでしょうか?」しかしながら、どんな人でも自分の意志というものがあり、そのような行為に耐えられなくなるのです。

 私たちの社会で毎日目にすることは、人々が愛し合っていると主張していることです。しかし、彼らが結婚したり、一緒に住んだりすると、戦いや喧嘩が始まり、別居や離婚になっていきます。別々に生きること、すなわち人生の犠牲者になってしまいます。

 既に述べたように、私たちは人生に多くを求めます。しかし、人生も私たちに何かを求めているのです。私たちが子供に生命を与える時、邪悪なエゴイズムや愚かさの祭壇に彼らを犠牲として捧げることはできないのです。それらはまさに若い魂を不幸せにし、自分たちと何も変わらない人生を継続させるための悪い手本や事例を押しつけることになるのです。
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じゃあ、どうしたらええのんかということは、読み進めていくと先に書いてあるかもしれない。
誰かが言ったり書いたりすることは、その書き手や発言者の考えには違いないけど、そこから何らかの閃きを得て自分なりに考察してみることは、有意義なことだと思う。

おっと、駄文を書いていたら、雨が上がったようだ。
洗濯でもしてみるか。
みなさん、いい一日をね。