ソロベーシスト奥田治義氏のセカンドアルバム
『 As if a feather turned into a steel ax in a moment 』

haruyoshi okuda


If the Sun and Moon should ever doubt, they’d immediately go out.
(William Blake)
太陽でさえ月でさえ自らを疑えば、忽ち輝きを失うだろう。
詩人ウィリアム・ブレイクの言葉です。
自分を疑わないとは、自分を信じること。
自分を信じるとは、自分への信頼に基づいていかに自分から自由になるかということだと思うのです。
この世には自分という怪物が跋扈しています。
このアルバムの創作者である奥田治義も、私を含めた多くの人たち同様、自分という存在に翻弄されてきたのではないかと、そう長くはないが浅くもない彼との交流を通じて推察します。
そしてここに及んで、彼は自分とではなく「音楽」と向き合う覚悟をして、11のオリジナル楽曲を書き上げ、フレットレスのエレクトリック・ベースという独奏楽器を使って演奏・収録したのです。
(うち2曲は作曲のみ行い、ピアニストとサックス奏者が各々演奏)
アルバムタイトルは
『As if a feather turned into a steel ax in a moment(一枚の羽根がある瞬間に鋼鉄の斧になるが如く)』
広島のホールに、彼と録音エンジニア、ゲストミュージシャンという必要にして十分な面子が集い、聴衆無しでライヴレコーディングされました。
録音は、楽器本体の他にエフェクターもループも使わず、アンプのイコライザーもフル・フラット、オーバー・ダビングも一切行わない真剣勝負一発録りという方法で為されました。
音色や音質の変化は全て手で行ったということです。
演奏されベースアンプから出た音は、空気を介して録音マイクに届きます。
彼には空気を振動させてこその音楽という思いがあり、最もプリミティブな録音方法にこだわったのも頷けます。
(呼吸音等の演奏ノイズも音楽の一部として収録)
彼は常々、音楽としての独自の言語を持ちたいと語ってきました。
当然、今回のアルバムを創るにあたって、そうあるべく務めたに違いありません。
それが叶っているかどうかは奥田治義自身が認識しているでしょうし、このアルバムを聴くあなたが判断することになります。
「遠くに弾いて、遠くに聴く」これは彼の師である野田一郎氏の言葉だそうです。
凡人の私には理解し難いのですが、人前で演奏するとき、会場のあらゆる場所にプレイヤーの耳を置いておくという意味でしょうか。そうすれば音量の大小にかかわらず、意図し
た音がちゃんとオーディエンスに届けられると。
そうであるなら、今回の収録時にもこのような方法で演奏されたことでしょう。
もしかしたら、そこにはいない未来の聴衆のそばに、その耳は置かれていたのかもしれません。
そんなことを夢想させるほど、このアルバムが提示する世界観は「人」という存在に寄り添っていると、私には感じられるのです。
彼は主張します。
「音楽」とは、オーディエンスからの影響を受けず、最も純粋に自分と語り合い、自分を探しに行き、自分のなにがしかを抽出する作業であると。書家や画家や小説家や詩人や彫刻家がそうであるようにと。音楽が純粋な自分の発露と提示の芸術であるとするならば、その瞬間にオーディエンスは必要ないのだと。
彼の本意がどこにあるのか、正直私にはわかりませんが、つまるところ同じ地平に立っているようにも思えます。
誰のために音楽を創り奏でるのかという問いに、あなたは、私は、そして彼は何と答えるのか。
人である人が人以外の存在に向けて創作することなど無い、とは言えません。
たとえば、純粋に植物のために作曲して演奏するというふうに。
しかし実は誰よりも人という存在が好きに違いない彼が創り奏でる音楽は、まさに人のためにあると思えるのです。
その音楽はきっと、自分の深部を通り抜けたのちに現れる自由な世界からもたらされるのでしょう。
複雑で屈折した奥田治義という一人の音楽家から届けられた、無防備だけれどもしなやかで美しい作品群をぜひ味わっていただきたい。
彼を知る人知らない人、愛を育むすべての人に。