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カテゴリー: 風に語りて (1ページ / 3ページ)

風に語りて 026

久々に会った人に「体調はどう?」と訊かれて、「寛解したんですよ」と返しても、その言葉が一般的でないため、「?」という反応が返ってくることが多い。
「今のところ進行が止まっているんです」と言うと、すぐに解ってもらえるから、今後はそう告げよう。
今のところ無事という状態は、寛解の身だけに当てはまるわけじゃない。
誰にとっても言えることだ。
そのことをありがたいと思うのか、特に感想は抱かないのか、それは人それぞれ。
その人のこれまでの体験によるかもしれないし、生来のものかもしれない。
夕方にウォーキングしていると、西からの陽光に照らされた雲が美しい。

風に語りて 025

今年初め頃に脳内出血をした友人が仕事に復帰したので、会いに行った。
後遺症による身体的不自由さはあるものの、前向きな明るさは相変わらずだった。
元気そうで安心したよと、お互いに言い合った。
奥さんを始めとする周囲の人たちの心痛や苦労は大変なものだったろうが、彼のめげない姿勢に希望を見いだして、それが周囲もめげない一因になったに違いない。
「いろいろ勉強になった」と彼は言った。
そう言える奴だから回復したのか、回復したからそう言えるのか。
メンタルの強さは自分自身のためにあるんじゃないと思う。

風に語りて 024

もうじき2017年が終わる。
突然、「今年、一番良かった(嬉しかった)ことは何ですか?」と訊かれたときのために、あらかじめ考えてみないか?

好きになった人との出会い
合格
宝くじ当選
念願だった楽器を買った
一日に二度、虹を見た
結婚
離婚
などなど、いろいろ。

とても一つに決められないくらいに最高の一年だった人もいるだろうな。
そんなこと一つもない、と眉間にしわの人もいるかも。
何か一つくらいあるんじゃない?
おれの場合は、そうアレに決まってる。

風に語りて 023

「備えあれば憂いなし」というが、憂いはどのみちある。
しかし、憂いがやってきたときの心の反応が違ってくる。
平和な日常に突然裂け目が生じたら、パニックになるだろう。
平和な日常のすぐ裏側には暗黒が張り付いているとイメージできていれば、動揺の度合いは少ないだろう。
そのときには腹を決めねばならない。
そんなことを思いながら、週末ライブの出番調整をしている。

風に語りて 022

ここんとこ軽い眩暈が生じていたんだが、今日の起き掛けはそう軽くもなかった。
からだに異変が起きたとき、怖いというよりもメンドクサイなという思いが立ち上がってくる。
病を得ると時間や気力やお金や身体的ダメージなどのロスを伴うので、まさにメンドクサイ。
そして異変は踏み絵でもある。
降参するのか、まだ闘うのか。
いつかは、もういいかなと思うんだろう、きっと。
その日がいつになるのかは知らないが。

風に語りて 021

詩人 銀色夏生の「今を生きやすく つれづれノート言葉集」という本を読み終えた。
日記風エッセイ「つれづれノート」シリーズからの自薦抜粋である。
詩じゃないだけに、日常生活の中から立ち上がってきた言葉たちだけに、その分すいっと心に入ってくる面もある。
まるで言葉の姿をした知恵の果実のようだ。
必要な人が手にすることを想像してみる。

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愛が叶わないと心の底からわかった時、人は抜け殻のようになる。
けれど抜け殻には可能性がある。
新しい身体を、新しく入れよう。
前よりも強靭でしなやかな身体を。
(銀色夏生)

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風に語りて 020

誰もが自分をわかってもらいたいと思ってる。
他者から貶されたい人はあまりいないだろう。
あわよくば褒められたいんだね。
すごいね、素敵だね、と言ってほしい。
それは自然なことかもしれない、人間だもの(@みつを)
だけどさ、あんまり自分ばっかりの人と付き合いたいとは思わない。
たとえて言うと、会って開口一番にまず自分のことを話す人。
反対に相手のことを気遣う人もいる。
「どう、元気?」
「最近どうしてる?」
「そのシャツ、かっこいいね」
その差はどこからくるのか。
前者は他者に興味がないんだろう。
つまり、自分に興味がない。

風に語りて 019

死後の世界はあると考える人がいる。
死んだら無になると信じる人がいる。
前者は、その考え方によって、死ぬのが怖くなくなるのだろうか?
後者は、無になることが怖くないのだろうか?
きみはどっちだい?
どっちでもないかい?
おれには死んだあとのことは、よくわからない。
敢えて言うなら、死んだらどうなるかという取って置きの謎がわかるから楽しみではある。
しかし、その答えを認識する自分が存在していなければナンセンス。
3年前に全身麻酔で手術を受けたとき、いつの間にか眠っていて、目覚めたときには7時間が経っていた。
体感的には一瞬だった。
目覚めたから、眠っていたとわかったわけだ。
死ぬってことは、つまりは目覚めがない眠りなんだなと実感した経験だった。

風に語りて 018

十年くらい昔に近所の高台にある果樹園で仕事をしていたことがある。
柿の摘果や梨の袋かけなど。
高台は広大で、木々の茂りの合間から遠くの方に海を望める。
こないだ痛めた腰のリハビリとして、ずっと怠けていたウォーキングを再開しようと思い立ったとき、その場所がいいなと直感した。
さっそく歩いてみたら、すごく良い気分だったので、しばらく続けてみようと思う。
自宅から高台までは車で4分くらいだ。
そこらへんに駐車してから歩く。
十年前にそこにいた柿畑の横を通る。
あれから、おれは遠くまでやってきたが、さらに遠くまで行くのさ。

風に語りて 017

核兵器禁止条約について、なぜ日本政府は唯一の被爆国なのに署名できないのか?

【持論構築の参考に】

河野太郎外務大臣(=日本政府)の見解

核兵器禁止条約について、なぜ日本政府は唯一の被爆国なのに署名できないのかと、多くの方から聞かれます。
核兵器は、いったん使われると広い範囲で多大な惨禍をもたらします。
核兵器の使用に人道的なものはありません。
唯一の被爆国として誰よりもそれを知る我が国が核兵器の廃絶を目指すのは当然ですし、今後もそれは変わりません。
一方で、核兵器の脅威が未だ現実に存在する状況において、あらゆる手段を講じて国民の生命・財産を守ることは、政府として当然の責務です。
核軍縮に取り組む上では、この人道と安全保障の二つの観点が常に重要です。
人道の観点からいえば、核兵器禁止条約が目指す核兵器の廃絶という目標は、我が国ももちろん共有しています。
しかしこの条約には、米国、ロシア、英国、フランス、中国といった核兵器国が反対しています。
現実的に核軍縮、核廃絶を実現するためには核兵器国を動かす必要があります。
残念ながらこの条約ではそれができません。
また、現実の安全保障の観点を踏まえていないことから、日本や韓国、ドイツをはじめとしたNATO諸国といった核兵器の脅威に晒されている非核兵器国からの支持も得られていません。
核兵器禁止条約の交渉会議に参加し、条約の採択に賛成した国は、中南米、大洋州やアフリカなど、核兵器の直接の脅威に晒されていない国がほとんどでした。
このままでは、核兵器国と非核兵器国との間のみならず、非核兵器国同士の間ですら隔たりを深めることとなりかねません。
安全保障の観点でいうと、北朝鮮の核・弾道ミサイル計画の進展は、我が国を含め、この地域と国際社会全体の平和と安定にとって、これまでにない重大かつ差し迫った脅威となっています。
北朝鮮は先日も、「日本を沈める」といった声明を出しました。
戦後ここまで明確な形で我が国の安全を脅かす言動を行ったのは、北朝鮮が唯一かつ初めてです。
核兵器の使用をほのめかす北朝鮮のような存在にその使用を思いとどまらせるには、もし核を使えば自らも同様の、あるいは、それ以上の堪え難い報復にあうと認識させることが必要です。
こうした考え方を抑止といいます。
北朝鮮のように、実際に核兵器の使用をほのめかし、多数のミサイルの発射すら行いかねない相手に対しては、通常兵器だけで抑止を効かせることは困難であり、核兵器による抑止がどうしても必要となります。
さりとて、非核三原則を国是として掲げる日本が、自ら核抑止力を保有する選択肢はありません。
国民の生命と財産を守るためには、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力に頼る以外ないのが現実です。
核兵器禁止条約は、こうした厳しい安全保障環境を十分考慮することなく、核兵器の存在自体を直ちに違法化するものです。
したがって、この条約がいかに核兵器廃絶という崇高な目的を掲げているものであっても、核兵器を直ちに違法なものとする核兵器禁止条約に参加すれば米国による抑止力の正当性を損うことになり、結果として、日本国民の生命や財産が危険にさらされても構わないと言っているのと同じことになります。
これでは、北朝鮮のような相手に対して誤ったメッセージを送ることとなりかねません。
国民の生命と財産を守る責任を有する政府としては、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に核軍縮を前進させる道筋を追求していく必要があると考えており、核兵器を違法なものとして、直ちにその廃棄を各国に求める核兵器禁止条約は、核兵器廃絶に向けた我が国の考え方とは異なるものであり、この条約に署名することはできません。
では、地道に核軍縮を進める道筋とはどんなものでしょうか。
核兵器廃絶を目指す上で、まずは、世界に一万六千発程あるとされている核兵器を、米国、ロシア、中国といった核兵器国が実際に削減していくことが必要です。
そして、その数が極めて低くなった時点で、核兵器の廃絶を目的とした法的な枠組みを導入することが最も現実的ではないかと考えています。
その場合には、核兵器が確実に廃棄されたか、再び生産されていないか等を国際的にきちんと検証できる仕組みも必要です。
こうした現実的な道筋を歩んでいくためには、核兵器国と非核兵器国、また、非核兵器国の間での信頼関係の再構築を行うことが重要です。
そのために、我が国は、率先して立場の違う国々の間の橋渡しの役割を果たし、核兵器国もしっかり巻き込む形で現実的かつ実践的な取組をリードすべく、粘り強く取り組んでいきます。
先般、国連で米英仏の賛成を得て可決された我が国提出の核兵器廃絶決議もまさにこうした考えに基づく取組のひとつです。
今後、我が国としては、NPT(核兵器不拡散条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)、FMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)といった核兵器国も非核兵器国も参加する取組を着実に実施していくべく、各国への働きかけを強めていきます。
本年一一月下旬には、「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」第一回会合を広島市で開催します。
この分野で優れた識見を持つ有識者の忌憚ない議論を通じ、核兵器国と非核兵器国の間の信頼関係の再構築に資する提言を得たいと考えています。

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