susa suigai


平成25年7月28日に山口県と島根県の県境で大雨が降り、水害が起こった。
島根県津和野町でも24時間での降水量が381.0mmという島根県観測史上最大の降水量を記録した。
山口側の県境に住む知人の町も大きな被害を被った。
おれのいる益田市とその町とは車で20~30分の距離だったが、幸い益田は大した降雨ではなかった。

そのときにおれは、災害地と被災害地の心理的距離を思い、当事者と非当事者との乖離を実感したのだった。
つまるところ、当事者になってみないとわからないことがあるということだ。
おれは某SNSに載っていた災害に関する記事に、当事者と非当事者についてコメントした。(たしかそうだったと思う)
そのとき起きていた災害についてというよりも、一般論として述べたつもりだった。
すると件の知人から、当事者でないなんて信じられない、益田もかつて水害に遭ったじゃないかという意味のコメントがあった。
たしかに益田は昭和58年に大水害に見舞われている。
だから想像力があれば、今回の水害に非当事者ではいられないんじゃないの?と彼は憤慨したんだろう。
実際に被害に遭っている最中に、一般論としての当事者と非当事者という概念はピンとこなかったのかもしれない。
以来、その知人とは会ってないし、何とは無しに軽蔑の念も伝わってくるようである。

益田からボランティアに駆けつけた人もいたし、ふだん通りの生活を送った人もいた。
おれも特にアクションを起こさなかった一人だった。

当事者と非当事者の間には深いクレバスが横たわっている。
おれはそのように感じている。
ただ、もしその知人から電話があり、「困っとるけぇ、ちょっと手伝いに来てもらえん?」と言われたなら、しらん顔はしなかったと思う。
その瞬間に、他人事では無くなったと思う。
そこらあたりに、深いクレバスを飛び越える意志が生じる秘密があるような気がしてならない。