GGライダー 7
「熱いお茶を淹れましょう。できるまで掛けてお待ちください」
男は壁際にあるソファを示しながら言った。ソファのそばにはギターとアンプがあった。腰を下ろしたあと、本多がギターを指差して訊いた。
「あんたのかね?」
男はキッチンの脇にある椅子に座ったまま答えた。
「そうです」
「バンドやってはんの?」
「いえ、一人で弾いて楽しむだけです。ときたま夕波が一緒に歌いますが」
いきなり男の口から出た夕波という名に、本多とカワサキは強く反応した。
「あの子は、どこにいるんや?」
本多は詰問とも取れる口調で言った。
「あんたを見守ってたはずじゃが」
カワサキも身を乗り出す。
「あなた方のことは存じ上げていました」
男は素っ気無く答えた。
「あの子から聞いたんやろ?」と本多が言った。
「わたしが目覚めると、夕波はソファで寝入っていました。きっと疲れ果てたのでしょう。監視モニターをチェックすると、あなた方が映っていました。わたしは夕波の記憶にアクセスし、事故のことや、それ以後のことを知りました」
「記憶にアクセス? いくら親しい仲でも、そんなこと許されんじゃろう」とカワサキが抗議する。
「非常事態ですから。普段そんなことはしません。さて、お湯が沸いたようです。わたしが育てたお茶の木から摘んだ葉です。香り高くておいしいですよ」
男は戸棚から円筒形の缶を出して、中身を急須に入れた。そして少し冷ました湯を急須に注いだ。
「なら、あの子は宇宙船の中にいるんやな?」と本多が訊いた。
「蘇生カプセルの中で眠っています。ご心配には及びません」
「そうか」
本多はほっとした表情になった。
「さあ、できました」
男は急須から湯呑みに茶を移したあと、盆に乗せて二人に差し出した。
「どうぞ。言うまでもなく、悪いものは入っておりません」
気持ちを見透かされた彼らは、少し動揺しながら湯呑みを受け取った。
「ほいじゃあ、ごちそうになるわ」
カワサキは鼻先で湯気を割って、熱い茶をすすった。
「旨い。こりゃ旨いで」
「そうですか。それはよかったです」
男はキッチンに引き返し、今まで座っていた椅子をソファの近くに運んで腰を下ろした。そして湯呑みに口をつけた本多に尋ねた。
「いかがですか?」
「なかなかのもんや。あんた、外の菜園といい、園芸に長けてはるんやな」
「こんなところに長年暮らしていると、他に楽しみもありませんから」
「どのくらい、ここにいるんや?」
「千三百年ほどになります」
男は、さらりと言った。
「信じ難いことやが、なんとなく納得してしまうのは、なんでやろ。あの子からも聞いていたからやろか」
本多はそう言って茶をすすり、さらに続けた。
「そやけど、なんでこんな秘密をわしらに話すんかわからへん。まさか、あとで口封じする気やないやろな」
「ご心配なく。夕波が信頼した相手だからというのが、その理由です」
「それを聞くと」とカワサキが言った。
「あんたのことも信頼せにゃならんいうことになるのぉ。理由はおんなじじゃ」
「そうしてください」
男はかすかに笑った。
「ついでに訊くんやけど」と本多が言った。
「あんたのギター、年代物みたいやけど」
「1957年製レスポールカスタムの2ピックアップモデルです。ブラック・ビューティーの愛称で呼ばれていたものです」
「ああ知っとるよ。しかし、えらい古いもん手に入れたもんやな」
「インターネットでオークションが流行った時代に買いました。アンプも同様です」
「なんでまたレスポールを」
「形というか、たたずまいが好みだったのです。自分で弾いてみたいと思いました。わたしの生まれた星には、音楽というものがありませんでした。だから当然、楽器もありません」
「音楽がないなんて信じられへんな」
「宇宙は広大無辺で、在り方も多様です」
「そんなもんかいな。ところで、ギターの前には何か楽器弾かんかったんか?」
「この星に来て以来、楽器はギターが初めてです。色々なもので気を紛らせてきましたから」
「気を紛らすって、あんた、音楽は暇つぶしかい」
「そうです。長年生きていると、同じものでは飽きてしまいますから。ここに着いてから最初に始めたことは、和歌を詠むことでした」
「和歌?」
「地球に不時着してまず最初に行ったのは、姿形をできるだけ人間に似せること、そして言葉を習得することでした。体の器官を使って音声を発し、それに意味づけして意志を伝達する方法や、文字というツールを使って意味を記録するやり方は、とても興味深いものでした。当時の日本語を身につける過程で和歌に出会い、わたしも詠んでみることにしました。ある程度のものが作れるようになったとき、わたしはペンネームを考えてデビューしました」
「ペンネーム? なんちゅう名や?」と本多が訊いた。
「柿本人麻呂です」
「まさか」
「本人が言うのですから、間違いありません」
「本人て」とカワサキが苦笑する。
「人麻呂の正体は、はっきりしてへん。これまで伝説上の人物扱いやったが、やはり実在したんやな」と本多が感慨深げに言った。
「まてよ。ちゅうことは、あんたは人麻呂以降の歴史の生き証人やないか」
「そうとも言えますね」
「歴史の真実を知っとりんさるんじゃな」とカワサキが言う。
「歴史の真実というよりも、人間の本質ですね。千三百年も見続けてくると、骨身にしみてわかることがあります」
「どんなことかね?」
「人間と我々とは生きるために使う燃料が違うということです。我々のは慈しみで、人間のは憎しみです。地球上から諍いや殺し合いが無くなった日は一日もなく、今後もないでしょう。こんな野蛮で危険な星に愛する者を残していくわけにはいきません」
「夕波さんのことか?」
「そうです」
「じゃけど、夕波さんは迷っとったで」
「当然です。生まれ故郷を離れるということは簡単ではありません。しかも、もう二度と帰れないとなるとなおさらです」
「どゆことや?」
「夕波と、というより人間とわたしとは体を構成するものが異なっています。だから、わたしのように長期間に渡って肉体を維持することは困難です。いったん旅立ってしまうと、夕波の生きているうちに再びこの星に帰還するのはまず不可能でしょう。もっと言うと、わたしの星に戻る途中に生を終えることも考えられます」
「そやったら、連れてくの止めとけや」と本多が語気を強めて言った。
「人間はな、生まれたとこで死ぬのが一番幸せなんや。そんな暗く冷たい宇宙空間や最果ての星で一生を終えるのは、あまりにかわいそうやないか」
「おっしゃるとおりです。しかし、どこで死ぬかということも重要な問題でしょうが、どう生きるかということはもっと大切なことではないでしょうか。やっと出会えた愛する存在と命ある限り一緒にいたいと願うのは、人間も我々も変わりはありません。わたしと夕波とは、そんな離れがたい間柄なのです」
男の顔に、切なさと呼べるような表情が浮かんで消えた。
「矛盾しとる」
本多が鋭く言った。
「あんたはエゴイストや。言うとることがムチャクチャやないか。どう生きるかが大切やて? そうや、そのとおりや。やっと会えた相手と離れるべきやない? そうや、そのとおりや。なら、あんたがここに残るべきちゃうか? かけがえのない相手に悲しい思いをさせて、何が愛するや。それに、あんたの方が長生きするんやから、せめてあの子が生を全うするまで、この星にいたらどうや?」
本多の激しい言葉に動揺したのか、男はしばらく無言でいた。
「おまえの言うとおりじゃ」
カワサキは本多を見て言った。
「おっしゃるとおりです」と男が口を開いた。
「わたしがここに残るべきでしょう。それは、よくわかっています。ただ、わたしにとって、これが最後のチャンスなのです」
本多とカワサキは男の言葉に注目する。
「わたしはこの星に不時着して以来、何とかして故郷に還りたいと思い続けてきました。その思いが失せた日は一日とてありません。帰郷するためには宇宙船を修理せねばならず、しかし修理のための部品が足らず、この星の科学技術のインフラが整うのを待つ必要がありました。わたしからも持っている技術を、それとわからない方法で提供し、同時に資金も確保しました。現在この星にある重要な科学技術の多くは、わたしが提供したものです。そして二十一世紀に入って、ようやく修理のめどが付き、これでやっと帰途につけると喜んだのも束の間、母船を修理するのは無理なことがわかったのです。それで対象を非常脱出用の小型スペースシップに変更し、なんとか実用可能なところまで漕ぎ付きました。ただ、この船では地球引力からの脱出はできるものの、故郷の星まで辿り着くには力不足なのです。わたしは何とかしようと必死で考え、唯一無二の方法を見つけました。それは時空の裂け目を利用して故郷の星の近くまでワープすることでした。わたしはそれから観測を続け、時空の裂け目が地球に接近する時期を割り出しました」
「それが今日というわけやな」と本多が口をはさんだ。
「おっしゃるとおりです。奇跡的に遭遇したこの機会を逃すと、もう二度とワープすることはできないでしょう。先程あなたが言われたように、確かにわたしがこの星に留まるべきだと思います。しかし望郷の思いも、気も狂わんばかりに強いのです。想像してみてください。千三百年もの長きに渡って、同族や故郷から遠く離れて、たった一人で生きるということを。そして、このわたしの思いを唯一人解ってくれたのが夕波だったのです。だからこそ、わたしと一緒にこの星を離れてもよいと半ば思ってくれたのです」
「半ばかね」
カワサキが、ほっとしたような、反面心配でもあるような顔で言った。
「そうです。半ばです」
男も、喜びと哀しみが溶け合わさったような表情になった。
「初対面のあなた方に語ってしまいました。聞いていただいて感謝します」
ここまで話して、男は初めて自分の湯呑みから茶を飲んだ。部屋に入ってもマントは身に着けたままだ。限りなく黒に近いダークグレイのマントの上に、色白の顔と銀色の髪があった。改めて見ると、男は知的で品のある顔をしていた。
「是非はともかく、あんたの気持ちはようわかった。そらそうと、名前はどういうんや?」と本多が訊いた。
「山端(やまは)と申します。枕草子から引用しました。秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり」
男は一節を諳(そら)んじてみせた。
「ふうん、変わった名やな。あんたが人麻呂やったんなら、なんで柿本の姓を使わへんのや?」
「人麻呂は罪に問われて刑死したことになっていますから、その名を冠するのは避けた方が無難だったのです」
「なんで罪に問われんさったんかね」とカワサキが興味津々で訊いた。
「当時の考え方のレベルから突出してしまったのです。気をつけてはいたのですが、いつのまにか危険人物としてマークされ、ついには処刑されることになりました」
「処刑て、どがぁな?」
「水刑です。船に乗せられて沖に連れていかれ、大きな石を抱きかかえた格好で縛られて、海中に投げ込まれました。わたしはこのことを予想していましたので、予めえら呼吸のできる装置を喉の奥にセットしておきました。そして水中で体を軟体化させて縄を抜け、少し離れた海岸に泳ぎ着いたのです。そのあと密かに母船に戻って、ほとぼりが冷めるまで姿を隠していました。以後は、各時代に合わせて様々な人物に成り済まし、今に至ったというわけです」
「うーん、にわかには信じ難い話やなあ」と本多が唸る。
「本人が言うのですから、間違いありません」
「また、それかね」とカワサキが笑い声を上げた。
「たしか若い妻がいたはずやが」
本多は、ふと思い出して言った。
「ええ、依羅娘子(よさみのおとめ)という名でした。心根の優しい人でした。わたしが刑死したあと、再婚したと聞きました」
「その人の前にはもう姿を現さんかったんやな」
「はい。わたしが現れたら、妻に危害が及ぶからでした。それから千年以上に渡って何人もの妻をめとり、最期を看取ってきました。彼女たちの老化に合わせて、わたしも老けていかねばなりませんでした。つまり、メーキャップで対応したのです」
「ほう」
本多は山端の顔をしげしげと見た。夫はいつまでも若さを保ち、妻のみが老いていく。よくよく考えてみると、これはかなり奇っ怪なことだった。考えようによっては、なんという孤独なことだろう。
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