GGライダー 2

gg-rider2401

 二台のハーレーは海を右手に見ながら快調にクルージングを続け、小一時間ほど走ったあと、笠山という小さな死火山のある辺りまで来た。あと十分も走れば萩に着くだろう。萩は明治維新に活躍した多くの人材を輩出した歴史的に有名な町だ。その町を通過して、海に沿う道をさらに西に行くと、本州の端に出る。そこの海峡を挟んだ向かいは九州だ。そして、その海峡に至る道のどこかに、ライフルを構えた殺し屋が潜んでいるはずだった。ノンストップで走って約二時間の距離である。二時間以内のどこかの時点で、この世と別れを告げることになる。
「このまま通過するか? それとも飯にするか」
 萩が間近の直線道路で、ヘルメットにセットしてあるマイクに向けて本多が言った。
 ヘルメット内の耳の位置にはスピーカーがセットされており、様々なチャンネルの無線デジタル放送を聴くことができる。また自分固有のサーバーに好みの音楽データベースを構築しておいて、手元にある超小型PCを操作して聴いたり、会話優先にセットしておけば、コンタクトがあった時だけ他の受信が中断され、話すことができたりする。
 このPWA(パーソナル・ワイヤレス・オーディオ)を、本多とカワサキは今回のツーリングのために導入した。走りながら話したり、イージーラーダーでかかっていた曲、すなわちSteppenwolfのBorn To Be Wildや、Jimi Hendrix ExperienceのIf Six Was Nineや、The BandのThe Weightなどを聴きたかったからというのが、その理由だった。
「調子出てきたけぇ、このままいこか」と耳元のスピーカーからカワサキの返事が聞こえる。
 ちょうどそのとき、対向車線をこちらに向かっていた大型トラックの後ろから一台のオートバイが飛び出してきた。赤いハーフカウルのモトグッチだった。直線なので追い抜こうというのだろう。二台のハーレーとの距離は十分にあったので、グゥイーンとトラックを抜き去り、元の車線に飛び込むものと思われた。
 しかし、赤いモトグッチがトラックの横に出ると同時に、トラックはいきなりスピードを上げつつ右にハンドルを切ってオートバイに迫った。ライダーは慌ててブレーキをかけながら自分もハンドルを切ったが、バランスを崩して転倒した。
 アスファルトの上を車体と一緒に滑り始めたライダーは、近づいてくるハーレーを認めたのか、持っていたハンドルから手を離して地面に転がった。赤いカウルを壊しつつ、地面との摩擦で金属部分から火花を飛ばしながら、モトグッチは横倒しのまま二台のハーレーに向かって突進してきた。
 トラックはオートバイの転倒を確認したからか、また元の車線に戻ってハーレーの横を猛スピードで通過し、走り去った。本多はトラックのナンバープレートを読もうとしたが、迫り来るモトグッチに気を取られて叶わなかった。
 本多は道路を滑ってくるオートバイの進路を読んだ。そして、ハンドルを切って対向車線側に寄った。カワサキも同じくコースを読んだのだろう、ハンドルを左に切って路肩側に寄った。その瞬間、二台のハーレーの間を赤と黒の金属の塊が鋭い音を立てながら通り抜けていった。
 前方の路上にはライダーが倒れていた。フルフェイスのヘルメットは被ったままだったが、うつ伏せ気味に地面に横たわり、微動だにしていなかった。
「生きとるろうか」とカワサキが言い、道路の左端にハーレーをとめた。
「とにかく助けるんや」
 本多も、その隣にとめる。
 二人は横たわる黒ずくめのライダーに駆け寄った。皮ジャンと皮パンツにライダーブーツを身に付けている。フルフェィスのヘルメットは赤で、後頭部が大きな傷になっていた。転倒時に地面で擦ったのだろう。
「おい、だいじょうぶか?」
 本多はしゃがみ込んで、ライダーの肩に手をかけながら言った。
 体を軽く揺すっても反応がないので、両手で仰向かせると、胸のふくらみが目に入ってきた。
「女じゃあ」とカワサキが驚いて言った。
「そやな、びっくりや。とにかく、ここから動かすんや。車が来たら轢かれてしまう」
 本多は女の脇の下を両手で抱え、カワサキが足を持って、道路の端に運んだ。
「メットを脱がせるんや。手伝え」
 本多はライダーの首を手で少し浮かせて、ヘルメットが取りやすいようにした。カワサキは首もとにあるホルダーを外し、両手を使ってヘルメットを脱がせた。
 現れたのは若い女だった。髪は短めで顔色は青ざめていたが、目を閉じていてもその美しさは伺えた。
「ねえちゃん、しっかりするんや」
 本多は女の耳元で呼びかけた。
「息しとるろうか」
 カワサキが覗き込んで、女の口元に耳を寄せた。
「おお、ちゃんとしとる」
「そうか。ほな、体を横向きにするんや。喉に舌が落ち込んだり、ゲロが詰まったりして窒息せんようにな」
「よっしゃ」
 二人は女を横向きにしたあと、交互に声をかけ続けた。しばらくすると、女は大きく息を吸い込み、吐き出した。そして薄目を開けたが、焦点は定まらないようだった。
「カワサキ、水を頼む。水筒持ってきてくれ」
「いや、こがぁな場合は飲み食いさせたらいけんて、前に救急法の講習受けたときに聞いたことがあるけえ」
「そりゃ、意識の無い場合やろ。気付け薬の代わりにちょっと飲ませるだけや」
「わかった。待っとき」
 カワサキはハーレーのシートに積んであるバッグのサイドポケットから水筒を取り出すと、外した蓋に水を注いで女の口元に持ってきた。
「ちょい待ち。体を起こすけん」
 本多は立て膝の体勢で女を抱え起こし、彼女の背中を自分の体で支えた。
「ゆっくりと飲ますんや」
 本多がそう言うと、カワサキは水の入った蓋の端を女の唇に当てて、そっと傾けた。水の冷たさを感じたからか、女は唇をぴくっと震わせたが、半開きになった口から少しずつ飲み始めた。
「おお、飲んどる飲んどる」とカワサキは嬉しそうに言った。
 蓋に半分ほどの量を飲み終えた女の目に生気が蘇ってきた。透明感のある目元をしている。最初は宙をさまよっていたそのまなざしの焦点が定まると、女は急にはっとした顔になって飛び起きようとした。途端に顔をしかめて両手で頭を抱え込む。
「まだ動いたらあかん」と本多が言った。
「メット越しにせよ、頭を打っとる」
「そうじゃ。もう少し横になっといた方がええ」
 カワサキも心配顔になって言う。
「バイク」
 突然、女の口から小さく言葉が発せられた。
「なんやて?」と本多が耳を寄せる。
「あたしのバイク」
 本多とカワサキは顔を見合わせたあと、路面を滑っていったモトグッチの行方を探した。見ると、二十メートルほど先の路肩に赤い車体が横たわっていた。
「ねえちゃんの愛車はちょっと昼寝中や。あんたも、もすこし横になっときや」と本多が言った。
「いかなくちゃ」
 女はそう言って体を起こそうとする。
「まあ、待ちいな。今は動かん方がええ」
「遅れちゃう」
「約束があるんかね」とカワサキが訊いた。
「会えなくなる」
「誰にや」
「ようそんなアホなこと訊くわ」と本多が言った。
「ええ人に決まってるやろ?」
「あ、そうか」
 カワサキが苦笑いする。
「バイクのとこに連れていって」
 女は必死な顔をした。
「おまえ、ちょっと様子見てこいや」
 本多がカワサキに言った。
「よっしゃ」
 カワサキは小走りに転倒しているオートバイのところまで行き、点検を始めた。
「災難やったな」
 本多は着ていた皮ジャンを脱いで丸め、枕代わりにして女を横たえた。
「あのトラックのナンバーは、残念ながらよう見んかった。女のライダーだと知って、嫌がらせをしたんやろな。殺人未遂やで。そやけど命に別状のうて、ほんまによかったで」
「ありがと。助けてくれて」と女は弱々しく言った。
「あたしのバイクは?」
「今、相棒が見にいっとる。けど、すぐに乗るのはやめといた方がええ。も少し休んでからや」
「でも」
 そこへカワサキが戻ってきた。
「だめじゃ」
「どないやねん」
「フロントフォークが歪んどる。走るのは無理じゃ。一応車体を起こしといたけどな」
「そんな」
 女が悲痛な声を出した。
「そんな」
 女はもう一度言うと、静かに泣き始めた。両の目にあふれた涙に日光が反射して、世界一美しい宝石のように煌めいた。
「なあ、ねえちゃん、生きとったらまた会えるけん」と本多が言った。
「そうじゃ、この世からおらんようになるわけじゃないろうね」
 カワサキも優しく言った。
「いなくなるの、この世から」
 女は涙声で答えた。
「って、まさか」
 カワサキは本多と顔を見合わせた。
「自殺を止めに行く途中なんちゅうことは」
「あほ、縁起でもない」と本多が顔をしかめた。
「ほやけど、他に考えられんじゃろ?」
「もう二度と会えなくなる」
 震える女の言葉が二人の老ライダーの胸に沁みていった。
「どこまで走るつもりやったんや?」と本多が訊いた。
「益田まで」
 それは本多とカワサキが後にしてきたばかりの町だった。
「連れてってやろういね」
 カワサキが目を潤ませて言った。
「なんや涙もろいやっちゃな」
 そう言う本多の目にも光るものがあった。
「けど決行が遅れるが」
「往復二時間てとこじゃろ? 長いこと生きた時間を思うと、それくらいのロスは」
「おまえもたまには、ええこと言う」と本多がニヤリとする。
「たまはよけいじゃ」
「ほな、話は決まったけん早速と言いたいとこやが、ねえちゃん動けるんかいな」
 本多が女に訊いた。
「それじゃあ、あたしを?」
「そや。タンデムになるが」
「嬉しい」
 女は肘を突いて上半身を起こすと、にっこりとした。
「今泣いたカラスがもうわろたじゃな」
 カワサキも釣られて笑顔になる。
「ねえちゃんの赤いバイクはここに残しておくで。あとで行きつけのバイク屋に電話して取りにきてもろたらええ」と本多が言った。
「はい」
「ほな、いこか。急いだ方がええやろ。ねえちゃんはカワサキの後ろに乗ってくれ。シーシーバーが付いとるけん楽やしな」
 本多は女に手を貸して立ち上がらせた。
「そらそうと、ねえちゃんの名前はどういうんや? わしは本多で、こいつはカワサキや」
「あたしは鈴木、鈴木夕波です」
「ゆうなみか。いい響きやな。どう書くんや?」
「夕方に水面に立つ波です」
「ええ名前じゃ」とカワサキが言い、
「さあ、出かけよか。夕波さんも気が急くじゃろ?」と促した。
 本多とカワサキは各々のハーレーのエンジンを始動させ、夕波はヘルメットを手にした。
「それはPWA内蔵のヘルメットかね?」と本多が訊く。
「ええ」
「わしらのも、そうやねん。ほな、周波数自動チューニングモードにしてんか。三人で話せるようにな」
「はい」
「夕波さん、乗りんさい」とカワサキが呼ぶ。
「出発や」
 本多はゆっくりとハーレーを発進させ、通りがかった車をやり過ごしてから、道路の幅を使ってUターンさせた。そして、夕波を乗せたカワサキも同じように向きを変えた。夕波はシーシーバーに背中を持たせかけた姿勢でバックシートに収まっている。
 本多が先導する二台のハーレーは、日本海を左に見ながら来た道を引き返した。三十分ほど行った辺りで、本多は夕波に話しかけた。
「ねえちゃん、いや夕波はん。乗っとるんが、しんどいんちゃうか?」
「大丈夫です」
「ならええんやが。そらそうと、益田に着いたらどこで降ろしたらええんかな?」
「打歌山って、ご存知ですか?」
「うつうたやま?」
「ほれ、あの山じゃ」とカワサキが話に加わる。
「柿本人麻呂が歌に詠んだ山で、実際に人麻呂はその麓に住んどったらしいで」
「どこらへんにあるんや?」
「旧県境のトンネル越えて五分くらい走ると、右手に小高い山が見えてくる。てっぺんにアンテナが立っとる山じゃ」
「ああ、あの山かいな。で、その山んとこに行けばええのんか?」
「はい。麓までお願いします」
「人麻呂にでも会うんかいな」
 本多はジョークのつもりで言い、夕波の笑いを期待したのだが、しばらく沈黙が続いた。
「どしたんや?」と本多が尋ねる。
「あ、すいません。ちょっと考え事してました」
「そやったな。下手な冗談言うとる場合ちゃうな」
 本多はアクセルを回してスピードアップした。

chapter 3
chapter 1
top page