帰宅すると、郵便受けに宅急便の不在連絡通知があった。夜9時までは再配達可能とあったので、すぐに連絡して届けてもらった。クール宅急便扱いで、中身は鮎だった。送り主は父で、鑑札を持っている父が自分で釣り上げたものだろう。
 そうかあ、そういえば鮎のシーズンだったわね、と故郷の川を懐かしく思い出した。川の全長は約80キロで、支流も含めて上流にダムがない日本でも指折りの清流と言われている。父の趣味は釣りで海釣りが主だが、鮎のシーズンには仕事の休みごとに川に出かけていた。
 私はお礼かたがた久しぶりに声を聞こうと電話をかけると、すぐに母が出た。相変わらずの大きな声だ。鮎が届いたと礼を言った。
「昨日、有給もらって川に行きんさったんよ」
「へえ、よく出かけとるん?」
「休みごとにね」
「そのぶん世話がなくて、えーわーね」
 そうそうと母は快活に笑った。
「お父さんは?」
「風呂なんよ」
「まだ上がらんの?」
「入ったばっかし」
「じゃあ、よろしく言っといて」
「たまには電話でもしてあげんさいよ」
「うん」
 ここのとこ何ヶ月も連絡してなかったなと反省しながら、そう言った。
 父は母と対照的な口数の少ない人だが、暗い性格ではなく、飄々としたマイペースな感じ。私が離婚のことを口にしたとき、自分の責任において決めればいい、どっちにせよ幸せでいれる道を選んだらええと言った。私はふたたび一人になり、故郷を離れることにした。狭い町の狭い世間だったし、都会での生活を経験してみたくもあったのだ。
 出発の数日前に、父は私を釣りに誘った。父のお古の胴長を履いて流れに入った。並んで竿を振っていると、梅雨の晴れ間の湿っぽい風が川面を渡ってきた。父は順調に釣り上げていたが、私はさっぱりだった。それでもしばらく続けていると、ようやく小さな鮎が掛かった。喉から針を外して魚籠に入れようとしたら、父から待ったがかかった。
「若いんは離してやりんさい。そうすりゃあ、もっと大きくなって戻ってくるけえ」
 私は半分しぶしぶ半分は納得して、前途ある若鮎をリリースしてやった。
「むやみやたらと竿を振ってもだめだ。川を読んで鮎の気持ちを感じてみんさい」
「わかった」
 私は鮎の心情を想像してみたが、彼らが釣られたくなんかないと思っているのは明らかだった。ただ、石に生えた苔を食べ、自由気ままに泳ぎ回っていたいに違いない。そう思うと、もはや釣りはできなくなった。私は岸に座って、父の竿さばきを飽きずに眺めていた。
「あんたは、どうしとるん。ちゃんと食べとるんかね?」
「心配せんで。自炊しとるし」
「そうかね。ええ人はおるん?」
 そう訊かれて、一瞬詰まった。私にとって、いい人とは何だろう。もちろん母の言ってる意味はわかるけど。
「どうかな。いるような、いないような」
「そう。体に気いつけてやりんさいよ」
「お母さんもね。お父さんによろしく」
 私は電話を切ってから、ベッドに仰向けになって、ぼんやりとしていた。頭の中に浮かんでくるのは、故郷の川の澄んだ水の流れだった。そして音が聞こえ、風が吹き抜けるのを感じた。父の声がして、小さな鮎が流れに戻っていった。
 突然、私はそのときの父の気持ちがわかったような気がした。若い鮎をリリースすることと、娘を遠く送り出すことを重ね合わせていたのでは? いずれ大きく成長したときに、また帰ってこいと願っていたのでは? そのときの父の寂しさを感じて、私は涙ぐんだ。
 明日の仕事帰りに七輪と炭と竹串を買おう。そうして、父が釣った鮎を塩焼きにして頂こう。それが、私と父との絆を確認する一番のやり方に思えた。鮎を冷蔵庫にしまう前に指先でそっと触れると、その柔らかさが心に沁みた。

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