車の中で
街角の暗がりで突然抱きしめられ、キスをされた。駅近くの雑居ビルにある居酒屋で飲んだ帰りだった。彼が舌をからませてきたとき、あたしの中のたがが外れてしまった。情欲に火がついたというより、積もり積もったさみしさが何か危ういものに変異してしまったようだった。あたしは彼の背中に手を回して、酒の匂いのする舌を吸った。短めのあたしの舌は、ぬめっとしたものにかき回され、二つの舌は蛇の交尾のように口の中でのたくった。
「部屋に行こう」
ようやく唇を話したとき、うわずった声で彼は言った。
彼は隣の市から通勤していて、運転代行で帰宅するには遠すぎるので、駅前のホテルを取っていた。
あたしが、それはできないよと言うと、じゃあ車の中で話そうと誘った。彼はあたしの肩を抱いて、駅の方に歩き始めた。
「車どこなの?」とあたしは訊いた。
「駅の駐車場だよ」
駅前再開発の一環で、屋外駐車場が新設されていた。
駐車場に着くと、彼は奥の方に向かった。職場でいつもあたしの隣にとめてある白い車が、夜の闇にひっそりと浮かんでいた。
彼は同じ職場の上司で、あたしより十歳ほど若く、妻子持ちだった。あたしがこの職に就くと程無く、彼は食事や飲みに誘ってきた。仕事の面で尊敬すべき点があったし、人間的にも好ましいと思い、なによりあの人との距離が埋まらないさみしさから、あたしはデートを重ねるようになった。
出会ってからずっと、あたしはあの人が好きだった。でも、あの人はいつも上の空だった。結ばれてからしばらくは幸せだったけれど、彼氏をつくれよ、などと不可解なことを言うあの人に、あたしは翻弄され続けた。その後、何度かセックスしても、あの人はなかなかあたしをステディな相手だと見なしてはくれなかった。それでも、あたしはあの人を求め続けた。
彼はポケットからキーを取り出すと、ロックを解いた。あたしは助手席に回って、ドアを開けた。乗り込むと、すぐに引き寄せられた。キスをしながら、彼は助手席のシートを倒した。
「人が来ない?」
「大丈夫」
彼はあたしを押し倒すと、上に乗っかってきた。彼の手がTシャツの上から胸を愛撫し、やがてTシャツを上にずらして背中へと回った。彼は器用にブラジャーのホックを外した。舌が唇から乳首に移り、舌先で愛撫され始めると、潤いが増してくるのがわかった。
彼はあたしのスカートをまくってパンティに手をかけ、足首まで引き下ろした。そして、太股が割られた。目を開けると、男が見下ろしており、車外から射し入るぼんやりとした明かりに、あたしの左脚が白く浮かび上がっていた。
彼はあたしをまさぐりながら、こんなに濡れてると耳元で囁いた。彼の指が入ってきたとき、あたしは抑えていた声を解き放った。しばらくすると、指が内部を掻き回す感触を感じた。次々と押し寄せる快感に浸りながらも、あたしは自分の中に生じた強い感情に気づいていたが、それが何なのかわからなくて、もどかしさを覚えた。
ふっと体が軽くなり、彼があたしから体を離したのがわかった。すぐにベルトを緩める音がして、ふたたび覆い被さってきた。
このとき突然、最後まで行くのは嫌だと思った。あたしの内臓に、あの人以外のものを受け入れたくはなかった。
「いや」
あたしはそう言って抵抗した。彼は諦めずに両手であたしの体を押さえつけ、硬くなったものを入れようとした。やめて、と抗議したものの、ここまで進んだ事態を止めるのは容易ではなかった。しばらく抗っていたが、結局許してしまった。
あたしの中に入ったとき、彼は感極まったような溜め息をついた。その声を聞きながら、あたしが感じてたのは悲しみなんだと、ようやくわかった。彼が動くたびに体は反応したけれど、もっと深いところにあるものが涙を流していた。
そのときになって、あたしは、見えないふりをしていたあの人の顔を、まざまざと思い出した。それが笑顔であっただけに、悲しみは深まった。あたしは何をしているんだろう?
彼は十分に動いたあと、一旦離れてコンドームを付けた。そしてふたたび挿入すると、動くテンポを速めてきた。間もなく、行っていい? という声がして、ううっという呻き声と共に彼は果てた。彼はしばらくあたしの上にいて、やっと一つになれたと感慨深げに言った。
彼が体を離したあと、あたしはノロノロと起き上がり、床に落ちていたパンティを拾って履いた。ブラも付けた。あの人に抱かれたあとのような喜びはなく、苦い液体が食道を駆け上がってくるような気がした。
彼は身繕いしたあと、キスを求めてきた。軽く応じながら、彼にとってはこれが始まりなんだと思った。けれど、あたしにとっては最初で最後のことにしようと決めた。帰るからとあたしは言い、彼はタクシー乗り場まで送ってくれた。
帰りのタクシーの中、酒の酔いが醒めるにつれて、あの人以外の男に抱かれたという事実が、鋭利な刃物となって胸を刺し、あたしは泣いた。
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