涙
久々に美菜ちゃんと会った。彼女は私がスーパーで働いてたときにバイトでレジを打ってた娘で、確か27歳くらいだ。ふっと思い出したから電話してみたの、と少し舌足らずの声で言った。
私たちは私鉄沿線の駅で待ち合わせ、そのあとバスで十分ほどの距離にある古いお寺まで行った。茅葺きの山門に至る道には、土産物屋と蕎麦屋がずらりと並んでいる。先に本堂や大師堂、釈迦堂などを巡ってから食事にすることにして、私たちは左右の店先を覗き込んだりしながら、山門を目指して歩いていった。
「この寺は縁結びの寺としても有名なのよ」と美菜ちゃんに言う。
「そうなんですか」
並んで歩く美菜ちゃんは、私より背が高く大柄だ。
「縁結びかあ」と彼女は溜め息をつく。
「なによ、あなたにはもう必要ないでしょ? 素敵な旦那様がいるんだし」
「素敵ですか?」
「あら、聞き捨てならないわね」と私は笑った。
「あんなにのろけてたじゃない」
「結婚当初は楽しかったんです。でも、しだいに何か違うって気がしてきて」
美菜ちゃんは素直な性格で決して暗い感じではなかったが、そう言われれば少し表情に翳りが見える。
「何かあったの? 彼の浮気とか」
「いえ、たぶんそれはないです。あたしはいつもかまって欲しい方なんですが、彼は仕事で疲れて帰ってきて、会話を億劫がるんです。あたしだって仕事してるんだし、嫌なことだってあるじゃないですか。ちょっと話聞いてもらえると落ち着くんだけど」
「そうよね」
私たちは階段を上がって山門をくぐった。赤く塗られた柱に茅葺きの切妻屋根が乗っている。ウイークデーだからか、境内は人影もまばらだった。
「家事は分担してるの?」
私はふと思いついて訊いてみた。
「とんでもない。炊事、洗濯、お掃除まで、みんなやらせてもらってます」
美菜ちゃんは皮肉っぽく答えた。私も自炊しているから、仕事を終えて買物して帰宅して、さらに料理をする大変さはよくわかる。そんなとき、夫から感謝の一言があれば、疲れなど吹き飛んでしまうのに。ぶっきらぼうでもいい、心がこもってさえいれば。
「そう、大変ね。一度、話し合ってみたら?」
「そんなこと言ったら、ますます不機嫌になっちゃう」
「そうなの? でも、試してみる価値はあると思うわ」
美菜ちゃんは、うーんと言ったまま黙ってしまった。夫とのあれこれを思い出しているのかもしれない。
正面に本堂が見えてきた。屋根の下に、白、紺、緑、黄、赤に染め分けられた垂れ幕がある。本尊は阿弥陀如来だとか。
「子供ができたら、彼もきっと変わるわよ」
私は長い沈黙が気になったので、そう言ってみた。
「あたし、妊娠したくないんです。セックスも好きじゃないし」
今度は私が考え込んでしまった。幸せいっぱいで結婚したはずのカップルが袋小路に入り、二人の絆を見失っている、そんなイメージが脳裏に浮かんだ。
「結婚って何なんでしょうね」
美菜ちゃんが声を震わせたので、私は驚いて彼女を見た。切れ長の目から涙があふれていた。とたんに私も切なくなって、泣けてきた。美菜ちゃんだけでなく、彼女の夫の悲しみも私の中に飛び込んできたからだ。片方だけが不幸なはずもない。
私たちはしばらくの間、泣きながら歩いた。
本堂、大師堂、釈迦堂と歩を進めるうちに少し落ち着いてきて、おまけにお腹も空いてきた。ねえ、蕎麦の呼ぶ声が聞こえない? と言うと、聞こえますと美菜ちゃんが微笑んだ。
「どこが美味しいんだろ。知ってる?」
「いえ」
「じゃあ、店構えを見て、直感で決めようか。自分の直感を信じてあげると、きっといいことあるわよ」
私たちはふたたび山門をくぐって階段を下り、門前に並ぶ蕎麦屋を物色しながら、ゆっくりと歩いていった。
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