平日がお店の定休日なので、町へ出ても週末に比べてゆったりと過ごせるのはいい。人混みは苦手だ。私は朝寝坊を楽しんでからベッドを離れた。外はいい天気。手回しミルで豆を挽いてコーヒーを煎れ、食パンを焼いて遅い朝食をとった。
 あとで近所の図書館に行こうと思いついた。区立の分館なので蔵書の数はそう多くないが、緑豊かな公園の一角にあって、建物内部から眺める木々に心が和む。
 正午過ぎに部屋を出て、徒歩で図書館まで行った。ハンドバッグに入れてある利用者カードを確認してから閲覧コーナーに向かう。めざす本がないときでも、書架を眺めながらブラブラして、ピンときた背表紙に手を伸ばすことにしている。これは誰かも言ってたけど、必要なときに必要な本が呼んでくれるという気がする。
 ブラウジングコーナーは主に年輩の男性で埋まっており、各々は新聞や雑誌を手にくつろいでいる。たぶん定年退職者がほとんどだろうなと思った。彼らが、そのふんだんな時間を楽しんでいるのか、もて余しているのかはわからない。玄関を入って右手には子供コーナーがあり、そこから幼児の話す声が聞こえてきた。毎週土曜の午後には、おはなし会があるらしい。私も機会があれば絵本の読み聞かせなどしてみたいけど、うまくやれる自信はない。
 外国文学の書架で『独り居の日記』というタイトルに目がとまった。著者名はメイ・サートンとなっている。未知の作家だったが、わけもなく心惹かれて手に取ろうとしたら、名前を呼ばれた。声のした方に振り向くと、窓からの光を背に男が立っていた。
「三沢さん」
 私は驚いて言った。
「どうしてここに?」
「リクエストした本を借りにきたんだよ」
「こんなに遠くまで?」
 彼の暮らす町は、ここからかなり離れている。
「行きつけの館になかったから図書館のネットワークで探してもらったら、ここが所蔵してたんだ」
「そうだったの。あっ、いつぞやはメールありがとう」
「うん」
「危機一髪だったかも。どうしてわかったの?」
「なんとなくね」
「情景とか見えたの?」
「いや、見えたりはしない。ふと、あんたのこと思い出したら、やばい感じがしたもんで」
 三沢さんは、いつものように黒いシャツを着て、いつものように淡々と喋る。
「ねえ、座って話さない?」
 私たちは窓際に置いてある閲覧席に腰掛けた。幸い辺りには誰もいなかったので、久々にゆっくりと話せた。
「最近、何してるの?」と彼が訊く。
「仕事のこと?」
「そう」
「花屋さんよ」
「へえ。どんな感じ?」
「一種の肉体労働ね。でも楽しいわよ」
「続きそうかい?」
「生活かかってるからね」
 三沢さんが私を見て苦笑する。
「あなたは?」
「あいかわらずさ。ヒーリングの仕事やったり、バイトしたり」
「ふうん。ところで何の本借りにきたの?」
 彼がどんな本を読むのか興味があったので尋ねてみた。
「一見、児童書みたいなんだが」
 そう言いながら、三沢さんはデイパックの中から一冊の本を取り出した。赤いコートの女の子が雪景色の町の上を飛んでいるイラストが描かれてあった。
「サラとソロモン」
 私は声に出して書名を読んでみる。
「どんな本なの?」
「幸せに生きる方法が書いてあるらしい。一種の精神世界本なんだけど」
「本に呼ばれたのね」
「そうかも」
「三沢さん、幸せになりたいの?」
 彼は、しばらく考えてから言った。
「幸せになりたいというより、幸せでありたいかな。今この瞬間に、何かを願う自分じゃなくて、何かである自分を選ぶのさ」
 なんだか屁理屈っぽいと私が言うと、そうだなと声を上げて彼は笑った。
 偶然の再会だったけれど、私はとってもいい気分だった。窓の外に目をやると、風にゆれる梢と、その彼方の白い雲が見えた。

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