ベビールースの落下 4
ぼくは、そんなことをあれこれ考えているうちに、ある仮説を思い付いた。それは、日本の方が早く原子爆弾を完成させていて使用できる軍事的状況にあったとしたら、たとえばアメリカ西海岸の都市に投下したかもしれないというものだった。
戦争を早く終わらせるために。これ以上いたずらに犠牲者を増やさないために。原爆投下の理由としてアメリカが主張してきたことそのままに、敵国アメリカの一般市民の頭上に、人類史上初の原子爆弾を投下したかもしれない。
もしもその決定が下されたとしたら、筋金入りの軍人である原爆搭載機の機長は、自分は任務を忠実に遂行するだけであり、胸を痛めることなどないと思ったかもしれない。
この仮説を考察してわかったことがある。それは、やはり人間の本質は暴力的であり、対立を通してでないと自己確認できない存在であるということだった。でも、だからこそ、愛や慈しみという感情が備わっているんだ。それがないと、人間は互いに殺し合い、破壊の限りを尽くすだろう。
ぼくの時代に戦争はない。人々はいつも幸福感を感じているので争う必要がないからだ。争いのない平和な世界は、やはり素晴らしいと思う。人類はほんとに長い時間をかけて、やっとここまで辿り着いたんだ。生まれてすぐに脳内に埋め込まれる極小の科学の結晶が世界の平和を保つなんて、過去のどの時代の人だって想像しなかったに違いない。
さらに調べるうちに、ぼくはポール・ティベッツの興味深い発言を見つけた。それはアメリカのコラムニスト、ボブ・グリーンのインタビューに答えたもので、グリーンが原爆投下による犠牲者について話すと、何が正しくて何が正しくなかったのか、誰が正しくて誰が間違っていたのか私にはわからないし、私自身が正しかったのかどうかもわからない、という意味のことを述べている。また、戦争に倫理は存在しない、それが戦争というものだとも言っている。さらに、アメリカ軍兵士は祖国を守る任務に命を賭けた、日本軍兵士も同様だろう、と当時の日本の軍人に対してある種の共感を示している。
一方、エノラ・ゲイの副操縦士、ロバート・ルイスは、原爆投下直後に鉛筆で飛行記録を書いているが、彼は、百年生きてもこの数分間のことを忘れることはないだろう、と後悔のニュアンスを滲ませている。
三度目のアクセスの日が近づいていた。ぼくは二度目を終えたあと、すぐに申請しておいた。時を超えるには多大なエネルギーを必要とするから、そう頻繁にマシンを稼動させることはできない。それに、ぼくの他にも利用者はいたから、申請したあとしばらく待たねばならなかった。
アクセスの二日前に、ぼくは自分の心を見つめざるを得なかった。伸ばし伸ばしにしていたことを無視することができなくなった。それは、ぼくがアクセスした時代は広島への原爆投下の前か後かということだった。正直、ぼくはその事実を知るのが恐かった。もし投下前だとしたら、ぼくに彼女を助けるすべはなかった。なぜなら過去は決して変えられないから。だけど、今こそ事実に直面すべきときだと思い直した。
調べる方法はわかっていた。ぼくが撮影した町並の写真を、歴史データベースから検索した西暦1945年8月6日以前と以後の写真と照合すればよかった。
ぼくは自分が撮ったものの中から一枚の写真に注目した。それは屋根がドーム型になっている高い建物だった。ぼくは資料を参考に島病院の位置から見た方位を特定した。それは北西だった。残念ながら原爆投下以前の資料からは、同様の写真は見つからなかった。それもそのはずで、ぼくの撮影した地点は家々の屋根を越えており、他には同高度の建物はなかったからだ。
そして、そのときは来た。ぼくが原爆投下以後の写真を見ていると、鉄骨が剥き出しになったドーム型の屋根を持つ建物があった。屋根の部分だけでなく建物全体が破壊され、かろうじて建っているという状態だった。原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)とネーミングされていた。ぼくはこの写真を見た瞬間に、自分の撮った一枚、屋根がドーム型になった建物の変わり果てた姿だと思った。同時に視野が狭くなり、目の前が暗くなった。薄れゆく意識の中で、ぼくは燃え上がる炎を見た。炎は人の形になり、やがて黒く崩れ落ちた。ぼくは気を失った。
アクセスの前日、ぼくはまた図書館にいた。昨日の出来事で、ぼくは図書館側から、しばらくは時を超えるのを控えるように言われたけど、とても重要なことを調べているからと言い張り、何とか許可を得ることができた。
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