ノルウェーの森


 四人の中では誰が好き? と栞が訊いてきた。ジョンに決まってると言うと、あたしはやっぱポールがいいわと、うっとりした表情になる。
「だって、かわいいもん」
「リンゴだって、ある意味かわいいぞ」
「まあね。ところで新しいアルバム買わないの?」
 放課後、ぼくらは小川に沿った道を歩いていた。六年生になってから急に背が伸びた栞は、ついでに胸のふくらみも目立ってきた。
「おいらの小遣いじゃ一生買えんかも」と大げさに溜め息をついてみせる。
「栞、おまえ買って貸してくれ。おまえんち金持ちじゃん」
「あたしの小遣いだって。ねえ、二人で買わない?」
 栞の大きくてよく動く目が見つめてくる。
「いいけど」
 おいらは何だかどぎまぎして、舌がもつれてしまった。
「じゃあ、決まり。アルバム名は、ゴム底の運動靴って意味よね」
「違う。ゴム製の魂のことさ。ミック・ジャガーが、あるブルースマンに、おまえらの音楽はプラスチック・ソウルだとからかわれた話を聞いたポールが、ラバー・ソウルって付けたんだ」
「さすが、よく知ってるね」
「まあな」
 兄貴の買うミュージックライフを熟読してるしな、と心の中で言う。教科書もそうすればと思わんでもないけど、それはまた別の話。
「あ、あの人」
 突然、栞が立ち止まって言った。指差す方を見ると、ポロシャツを着た若い男がセーラー服の女を後ろに乗せて、ペダルを漕いでいた。すごくきれいな人だった。
「誰?」
「近所のお姉さん」
「高校生か」
「うん」
「男の人は?」
「さあ」
「どこに行くんだろ」
 なぜか彼らの行き先を知りたいと思った。
「おい栞、つけてみよう」
 おいらは返事を待たずに、栞の手をつかんで駆け出した。自転車は海岸へ続く道路を進んでいる。ぼくらは見失わない程度の距離を空けて付いていった。やがて、自転車は左折して視界から消えた。
「いなくなったよ」と栞が言う。
「あっちには防風林があったな。きっとそこに行くつもりだ」
 おいらは、かつて行ったことのある松林を思い浮かべた。密に生えた松の連なりが秘密めいた空間をつくっていて、海端にあるのに山深い森を連想させた。なぜ彼らがそこに向かってると思ったんだろう。
「ねえ、引き返そうよ」
 左折して防風林に入り、しばらく行った辺りで栞が言った。日光が木々に遮られ、薄暗くなっていた。
「恐いのか?」
「なんだか気味が悪い」
「心配するな、おいらがついてる」
「でも」
「おい、今なにか聞こえんかったか?」
 行く手にちょっと高くなっている場所があり、その向こう側から、鳴き声とも唸り声とも聞こえる音がしたような気がした。
「帰ろうよ」と栞がおいらの腕を引っ張る。
「わかった。でもその前に、あそこをちょっとだけ見よう」
 おいらは栞と手をつないで、ゆっくりと前進した。近づくにつれて、その音は人の声で、しかも女の泣き声のように聞こえた。
「さっきの人が泣かされてるんかな?」
 おいらは小さな声で言った。
「おんなじ声を夜中にお母さんが出してた」
 栞は、なぜか怒ったように言った。
 斜面の頂上にたどり着いたので、腹這いになって向こう側を覗き込んだ。十メートルほど下の窪地に松葉が吹き溜まっていて、そこにさっきの男の人が仰向けになっていた。そして、その人の腹に女の人がまたがって、落下傘のように広がったスカートが上下に動いている。泣き声はずっと続いていて、ときどき、いい、いいと言っているようだった。女の人の泣き声を聞いていると、口の中が渇いてきて、勃起してきた。
「なんか落ちてる」と栞が言った。
 つないだままの手の平は、じっとりと汗ばんでいる。女の人のそばに丸まった白いものが見えた。なんだろと言うと、栞は黙ったままだった。横顔を見せた女の人のセーラー服ははだけてて、男の人が胸のあたりを撫でていた。これが男と女のやることかと思った。なんとなく知ってはいたけど、実際に見るのは初めてだった。
 そうかぁ、あんなふうに男の上に女が乗ってやるんか。そう思ったとき、おいらの頭の中に閃くものがあった。ジョンの歌う『ノルウェーの森』という曲名を思い出したのだ。上に乗る、乗る上、ノルウェーという連想だった。栞に言おうかと思ったけど、馬鹿にされそうなので、やめておいた。
「動いた」
 おいらは、男の人が上体を起こして女の人を抱きしめ、女の人は地面に両膝をついて腰を前後に動かし始めたのを見て、小さく叫んだ。女の人は、ますます大きな声で泣いた。
 おいらは隣に横たわる栞を見た。彼女がこちらに顔を向けたので、顔を近づけた。目を閉じた栞の顔は大人びて見えた。とたんにビートが聞こえてきた。おいらの心臓の音だった。思い切ってキスした。唇は合わさったけど、それからどうしたらいいかわからなかった。もうすぐいくよ、もうすぐいくよ、という女の人の声が聞こえ、男の人と一緒に大きな叫び声を上げた。
 ぼくらの時間は止まったままで、身動き一つできなかった。栞の体から、いい匂いがした。

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