けらくレッスン


「まずは、じっくり温まってくれ」と男は言った。
 わたしより二十以上年上だが、老人と呼ぶには無理がある。出版記念のパーティで初めて顔を合わせたとき、何だか人間離れした人だと思った。いろいろ話すうちにセックスの話になり、あなたは女の本当の喜びを知らないと思う、私ならそれを与えられるよ、と誘ってきた。
「オーガズムなら知ってるわ」
「いや、あなたの経験した程度のものは、登山に例えるとまだ一合目だよ」
 なんでこんなオヤジに、このわたしがそんなこと言われなきゃならないの?
 その場を去ろうとしたら、引き留められた。物を書く上でも、きっと参考になるからと、わたしの好奇心を刺激してくる。しつこく粘られた末に、わたしはケータイ番号を教えてしまった。
 それから数度に渡るやりとりを経て、ついにわたしは男の待つホテルへとやってきた。もちろん覚悟を決めた上でのことだった。
 わたしはバスタブに体を横たえて目を閉じた。お湯の心地よさと、これから起こるであろうことへ期待感とが溶け合って、全身の細胞がゆらめいていた。
 タオル地のガウンをまとってベッドの端に座ると、男はガウンを脱がせたあと、わたしを横たえた。室内の照明は薄暗く、着衣のままの男の口からはコニャックの匂いがした。
「少し飲みたいわ」
 そう言うと、栓が抜かれ、液体が注がれる音がした。上半身を起こしてグラスを受け取り、枕を背にあててヘッドボードに寄り掛かる。香りを味わい、琥珀色の酒を口に含んだ。
 グラスを傾けるうちに、男はわたしの足先から太股に向けて、ゆっくりと唇を這わせてきた。脚が大きく開かれたが、その付け根へのキスはなく、また足先へと戻っていった。男は足の指を口に含むと、小指から順に舐め始めた。最初はくすぐったかったが、しだいに奇妙な快感へと変わっていった。彼の口に親指が出入りしているのを見たとき、男を犯しているような気がした。
 コニャックを飲み終えたわたしは、グラスをサイドテーブルに置いて仰向けになり、目を閉じた。男が服を脱ぐ音がして、わたしの右横のマットが沈んだ。それから彼は、わたしの肌を愛撫し始めた。その羽毛のようなタッチは、これまで経験したことのないものだった。
 やがて乳首が暖かいものに包まれた。あまり強く吸われると刺激があり過ぎて不快なのだが、男の絶妙な舌先の使い方に、わたしは声を上げた。
 男は、わたしの耳たぶを甘噛みしたあと、唇を重ねてきた。舌がからみあう。そうしながら、男の手は下半身に向かい、陰毛を梳(す)きながら泉の周辺へたどり着く。彼は溢れ出る水を汲み上げながら、辺りをびしょびしょにした。けれど、なぜかクリトリスには触れなかった。
「この感じをよく覚えておきなさい」
 わたしの中に入ってきたとき、男は言った。
「あとでまた入れたとき、その違いがわかるから」
 男は早々にわたしから離れると、ふたたび指と舌を使った愛撫を始めた。
「いかなくていいの?」と、わたしは訊いてみる。
「まだ早い。それに、射精が目的ではないからね」
 なら、何が目的なのだろう。
 しばらくのち、膣内では男の指が踊っていた。弱く、ときに強く、緩急自在なその動きに、わたしは高みに向かっていった。そのときになって初めて、男はクリトリスに指を当てた。いや、もしかしたら舌先なのかもしれない。わたしは、たちまち達してしまい、自分でも驚くほどの声を出した。けれど、そこはまだ頂上へと至る尾根の途中で、さらなる高みへと運ばれていった。
 膣に特別な感触があり目を開けると、男が上に乗っていた。挿入されたペニスは動かされることなく、彼はわたしをじっと抱いていた。にもかかわらず、膣を中心として、快感の波紋は幾重にも広がってきた。これまでのセックスでは覚えがない感覚だった。まるで膣に新たな快感センサーが生じたような感じ。ペニスの動きがないまま、わたしは絶頂を迎えた。そして男が動き始めてからの記憶はない。
 その日から一年近くの間、わたしは男によってセクシャルな部分を開発された。一回のセックスは6時間に及んだ。ホテルに入る前に食事をしていると、男の手が目に入っただけで、さーっと欲情した。それはある種の条件反射だったかもしれないが、純粋に体だけで味わう快楽の目くるめく喜びがあった。男のサポートによる官能の追求で、わたしは自分というものの深いところまで下りていけたと思う。
 それから、男との逢瀬を重ねるにつれて、わたしはしだいに苦痛を覚えるようになった。男を愛せなかったというのがその理由で、体の快楽と相反するように心は空しかった。男のことは、身を任せられるほどには好きだったが、もしかしたら、愛していなかったからこそ、自分をさらけ出して吠え、絶叫し、尻の穴まで覗かせることができたのかもしれない。
 男がわたしの心まで欲しがり始めたとき、わたしは彼と別れようとし、彼はそれを望まなかった。レッスン料は、随分と高くついた。

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