2008
9
30
病室にて
ベッドの上では酸素マスクを付けた父が短い周期で呼吸をしている。今朝から意識がなくなって、呼びかけにも応えない。延命装置は使わないというのが、本人および家族の意思である。意識上ではわからなくとも、心の深いところでは、そばに誰かがずっといてくれることに安心しているだろうと思う。遠くにいる親族の分までも。
ベッドの上では酸素マスクを付けた父が短い周期で呼吸をしている。今朝から意識がなくなって、呼びかけにも応えない。延命装置は使わないというのが、本人および家族の意思である。意識上ではわからなくとも、心の深いところでは、そばに誰かがずっといてくれることに安心しているだろうと思う。遠くにいる親族の分までも。
色々なブログを読んでいると、気になる言葉に出会うことがある。たとえば「生ある内は遅すぎるということはない。生き方を間違えたなら、潔く認め修正する。これは、この世に生きる者だけの特権である。別次元に移ると固定化される。だから人間は死ぬ最後の一瞬までが大事なのだ。(大意)」真偽のほどはわからないが、響いてくる。
千キロ走って、次男が出場するサッカー試合の応援に行ってきた。負ければ高校最後の試合になる。そして残念ながら負けたが、点差が開いているにも拘わらず、チーム全員が最後まで諦めずに奮闘していた。悔し涙が宝になることもある。三年間よくやったなと伝えて、試合終了後に降り出した雨の中を帰途についた。おつかれさん。
